|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 判 : [ばん] (n,n-suf) size (of paper or books)
127フィルム(いちにななフィルム、)は、スチル写真用のフィルムの規格である。画面サイズは4×6.5cm(ベスト)判8枚撮りのほか、正方形の4×4cm(ヨンヨン)判12枚撮り、4×3cm(ベスト半裁)判16枚撮りなどのフォーマットで使用される〔カメラの画面サイズとフィルムシステムの変遷 、リコー、2012年2月21日閲覧。〕。「127フィルム」に対する「ベストフィルム」、4×6.5cm判に対する「ベスト判」という名称は、コダックが1912年に発表したヴェスト・ポケット・コダックに由来する和製英語である。 == 略歴・概要 == 幅46mmのロールフィルムであり、フィルムの裏には遮光用裏紙があって、「スタートマーク」および「コマナンバー」が印刷されている。 1912年コダックがヴェスト・ポケット・コダック写真機とともに発表した〔''Requiem for a Great Format'', デイヴィッド・シルヴァー、''Photo Shopper'' 1996年3月11日発行、外部リンクを参照。〕。新形式のロールフィルムを使用し、蛇腹で折りたたんで「チョッキのポケット」(ヴェスト・ポケット)に入るほどの小型化を図ったフォールディングカメラである同シリーズは安価であったこともあり、1926年まで爆発的に数百万台を製造販売したという〔。同写真機は1901年10月に発売した箱型写真機No.2ブローニーと異なって平型であり、同機に始まる120フィルムよりも2cm小さかった。同社は2年後の1914年5月に発売した「No.0ブローニー」に同フィルムを採用し「ヴェスト・ポケット・コダックのフィルム」の範疇を早くも逸脱し始める〔〔The GEH Brownie Collection p.1 (キャッシュ : インターネット・アーカイブ、2011年6月14日付), 、2012年2月22日閲覧。〕。 日本でも使用したカメラは製造された。例えばミノルタの最初の市販カメラは、1929年(昭和4年)4月に発売された4×6.5cm判フォールディングカメラ「ニフカレッテ」であり〔〔『ミノルタカメラのすべて』、p.130。〕、リコーの最初の市販カメラは、1934年(昭和9年)に発売された4×3cm判の簡易型カメラ「オリンピックA型」であった〔オリンピックA型 、リコー、2012年2月21日閲覧。〕。コダックはブローニーラインの筐体をベークライト製にしてさらに簡易化、127フィルムを使用するベビーブローニーを同年7月に発売している〔The GEH Brownie Collection p.3 (キャッシュ : インターネット・アーカイブ、2009年6月14日付), ジョージ・イーストマン・ハウス、2012年2月22日閲覧。〕。 映画用35mmフィルムを写真に流用した写真機「ライカ」が1925年には発売開始していたが、1934年コダックが装填の際に暗室の要らないパトローネ入りの新規格「135フィルム」として、新型写真機「レチナ」とともに製造販売を開始、さらにフィルムサイズを小型化した〔。このフィルムは1950年代以降写真用フィルムのコンシューマ用スタンダードとして、ほかのサイズのロールフィルム、とりわけ127フィルムを駆逐していく〔。その時代から1960年代にかけて、ドイツや日本では、ローライ、アグフア、ミノルタ、リコー、ヤシカ等の企業が127フィルムを使用するカメラを製造しつづけた〔。 1995年7月コダックは83年間にわたって製造販売を続けた127フィルムを製造終了した。 2012年2月現在、クロアチアのフォトケミカ・ノヴァが白黒リバーサルフィルム「エフケR100/127」、ドイツのマコがカラーネガフィルム「ローライナイトバード127」とカラーリバーサルフィルム「ローライクロスバード127」、カナダのブルーファイア・ラボラトリーズがカラーリバーサルフィルム「ブルーファイア・ムラノ160」をそれぞれ製造販売している〔Rollei Nightbird 127 , マコ、2012年2月21日閲覧。〕〔Bluefire Murano 160 , ブルーファイア・ラボラトリーズ、2012年2月21日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「127フィルム」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 127 film 」があります。 スポンサード リンク
|