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ヨン・アルネ・セムンセート・リーセ(John Arne Semundseth Riise, 1980年9月24日 - )は、ノルウェーのモルデ出身のサッカー選手。キプロス・ファーストディビジョン・APOELニコシア所属。ポジションはディフェンダーで、主に左サイドバックを務める。左サイドハーフとしてミッドフィールダーで起用されることもある。 サッカーノルウェー代表の最多出場記録の保持者である。実弟のビヨルン・ヘルゲ・リーセもサッカー選手である。 ==来歴== 地元のオーレスンFKでキャリアをスタートさせた。デビューして間もない1998年にフランスのASモナコに引き抜かれた。モナコには3シーズン在籍。3シーズン目の1999-00シーズンにはリーグ優勝に大きく貢献し、2001年7月1日にリヴァプールFCへ移籍した。 リヴァプールに移籍後、当時の監督ジェラール・ウリエと起用法をめぐって対立。出場機会に恵まれない不遇の日々を過ごした。 しかし、2004年に監督がラファエル・ベニテスに代わるとすぐにレギュラーとして活躍。2004-05シーズンには、ハリー・キューウェルの長期離脱のため左サイドハーフを任され、9ゴールを記録。UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05決勝でも左サイドハーフとして先発出場。決勝はACミランを相手に3点のビハインドを追いついての劇的なPK戦勝利で、この大会の優勝に大きく貢献した。 その後、2006年にバレンシアCFから移籍してきたファビオ・アウレリオにレギュラーを奪われたことや後述のオウンゴールから、2008年6月18日に移籍金500万ユーロでイタリアのASローマへ移籍。移籍当初はイタリアサッカーに慣れず苦しんだが、徐々に適応しレギュラーを獲得。2009年3月1日のインテル戦で移籍後初ゴールを記録。3月11日のUEFAチャンピオンズリーグ 2008-09決勝トーナメント1回戦のアーセナルFC戦では負傷したフアンの代わりに急遽CBに入り見事に穴を埋めて見せるなど攻守に活躍し、この試合のマンオブザマッチに選ばれた(ただしローマはPK戦の末敗退)。 2011年7月6日に3年契約でフラムFCに移籍。イングランドには3シーズンぶりの復帰となる。なお、これによって弟ビヨルンと同じチームに所属することとなった。 2013年5月6日に代表引退を表明した〔リーセがノルウェー代表引退を発表 Goal.com 2013年5月7日〕。 2014年9月1日、APOELニコシアに加入した〔リーセがキプロスへ Goal 2014年9月2日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヨン・アルネ・リーセ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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