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ヨーゼフ・グラインドル(, 1912年12月23日 - 1993年4月16日)は、ドイツのバス歌手。ワーグナーやモーツァルトの諸作品など「ドイツもの」のオペラを中心としたレパートリーで世界的に活躍し、現代作品の創唱も手掛けた。グラインドルは1950年代から1960年代における、偉大かつ重要なワーグナー歌手の一人としてみなされている〔#Bach Cantatas〕。'', 1912年12月23日 - 1993年4月16日)は、ドイツのバス歌手。ワーグナーやモーツァルトの諸作品など「ドイツもの」のオペラを中心としたレパートリーで世界的に活躍し、現代作品の創唱も手掛けた。グラインドルは1950年代から1960年代における、偉大かつ重要なワーグナー歌手の一人としてみなされている〔#Bach Cantatas〕。 ==生涯== ヨーゼフ・グラインドルは1912年12月23日、バイエルン王国ミュンヘンで生まれる。1932年から1936年までの間は、ミュンヘン音楽院でパウル・ベンダーとに師事する〔#The Independent〕〔。1935年には、まだ学生の身ながらミュンヘンにおけるウェーバー『魔弾の射手』の公演に出演し、翌1936年にクレーフェルトにおけるワーグナー『ワルキューレ』の公演でフンディングを歌ってデビューを果たす〔。1938年にはのメンバーとなった〔〔#NYT〕。次いで1942年にベルリン国立歌劇場のメンバーとなり、1943年にはバイロイト音楽祭に初出演してヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮で『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のポーグナーを歌った〔〔〔。しかし、時代はナチス・ドイツの天下。グラインドルは1939年にナチと関連団体に入り〔Fred K. Prieberg: ''Handbuch Deutsche Musiker 1933-1945'', CD-Rom-Lexikon, Kiel 2004, p. 2.503.〕、1944年にはアドルフ・ヒトラーのいわゆる「」にその名を連ねた〔Ernst Klee, ''Das Personenlexikon zum Dritten Reich: Wer war was vor und nach 1945'', S. Fischer, Frankfurt am Main 2007, ISBN 978-3-10-039326-5, p.197.〕。ナチとの縁が、グラインドルのキャリアにどの程度影響を与えたかは定かではない。 第二次世界大戦終結後、グラインドルは1948年にベルリン・ドイツ・オペラ(ベルリン市立歌劇場)に移籍し、1970年まで在籍して計1,369公演に出演した〔〔。ベルリン・ドイツ・オペラではモーツァルト『魔笛』のザラストロ、『後宮からの誘拐』のオスミン、『ドン・ジョヴァンニ』の騎士団長、ベドルジハ・スメタナ『売られた花嫁』のケツァル、ベルク『ルル』のシゴルヒを主要レパートリーとし、1959年のシェーンベルク『モーゼとアロン』のドイツでの舞台初演に際してはモーゼを歌った〔。この間の1949年から1952年にはザルツブルク音楽祭の舞台にも立ち、1951年から再開されたバイロイト音楽祭にも復帰。1956年から1969年の間はウィーン国立歌劇場のメンバーも兼ねた〔。ザルツブルク音楽祭ではザラストロ、騎士団長、ベートーヴェン『フィデリオ』のロッコ、ヴェルディ『オテロ』のロドヴィーコおよび1949年のザルツブルク音楽祭で世界初演されたオルフ『』の伝令を演じた〔。バイロイトにおける活躍は無尽で、ワーグナー・オペラにおける主要なバスの役柄のほとんどを制覇した。 *『さまよえるオランダ人』ダラント:1959年〜1961年、1965年) *『タンホイザー』ヘルマン1世:1954年〜1955年、1961年〜1962年、1964年 *『ローエングリン』ハインリヒ王:1953年〜1954年 *『トリスタンとイゾルデ』マルケ王:1958年、1962年〜1963年 *『マイスタージンガー』ポーグナー:1956年〜1957年、1959年、ハンス・ザックス:1960年〜1961年、1963年〜1964年 *『パルジファル』グルネマンツ:1954年〜1957年、1959年〜1960年、1962年〜1964年、1966年、1968年〜1969年、ティトゥレル:1952年〜1954年、1958年〜1959年、1961年 *『ニーベルングの指環』ファーフナー:1952年〜1955年、1957年〜1958年、1967年、ファーゾルト:1956年、1966年、さすらい人:1965年、1967年〜1968年、ハーゲン:1952年〜1958年、1965年〜1969年 以上が、グラインドルがバイロイトで歌った役柄である〔。 ドイツ国外では、1952年から1953年のシーズンにメトロポリタン歌劇場(メト)に1シーズンのみ出演を果たしたほか〔、1951年から1961年の間にはパリ・オペラ座やスカラ座の舞台にも立ってワーグナーの諸役やモーゼを歌った〔。1963年にはロイヤル・オペラ・ハウス(コヴェント・ガーデン)に初出演し、同じ年の10月には日生劇場のこけら落としを祝したベルリン・ドイツ・オペラの初来日公演に帯同して、舞台でカール・ベーム指揮で『フィデリオ』ロッコと日本初演となるロリン・マゼール指揮の『トリスタン』マルケ王、ハインリヒ・ホルライザー指揮の特別演奏会でハンス・ザックスを歌った。ベルリン・ドイツ・オペラのメンバーとしては1966年と1970年にも来日し、1966年にはオランダ人、ザラストロ、オスミン、1970年にはモーゼとシゴルヒ、モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』のドン・アルフォンゾを歌った〔。歌手活動の傍ら、グラインドルは1961年からザールブリュッケンの音楽大学で後進の指導を開始し、1973年にいったん引退したあとはウィーン国立音楽大学でも指導を行った〔〔。その後、1981年に限って現役に復帰し、ベルリン・ドイツ・オペラでのリヒャルト・シュトラウス『アラベラ』のヴァルトナー伯爵を歌ったほか〔、ベーム最後のレコーディングとなるリヒャルト・シュトラウス『エレクトラ』のレコーディング〔#野崎 pp.28-29, pp.45-47〕にも参加した。1993年4月16日、ヨーゼフ・グラインドルはウィーンで亡くなった。80歳没。 グラインドルのレパートリーは幅広く、対を成すような役柄、例えばザラストロやハーゲンなど人間離れをして一種の威厳や憎悪を持ち合わせた役柄と、ロッコやハンス・ザックスのような人間的な要素を持ち、陽気でかつ憎めない役柄とを、易々と歌い分けることができた〔。いくらか足りない部分は、グラインドルが持つ重めで低いトーンの声そのものによって補われた〔〔。歌唱の巧みさは表現力にとどまらず、時として現代作品にも適合することを自ら証明してみせた。グラインドルはモーゼ、シゴルヒのほかに1971年のアリベルト・ライマン『メルジーネ』の初演に参加し、1973年に世界初演されたオルフ『時の終わりの劇』のプロローグと合唱隊長を創唱している〔。 娘はグートルーン・グラインドル=ロスナーであり、父同様に舞台やコンサートの歌手として活動している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヨーゼフ・グラインドル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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