|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ヨーゼフ・ツヴェルネマン(独:Josef Zwernemann、1916年3月26日 - 1944年4月8日)は、ドイツの空軍軍人。最終階級は空軍大尉。第二次世界大戦で総出撃回数600回、総撃墜数126機を誇るエース・パイロットであり、その功績から柏葉付騎士鉄十字章を受章した。 ツヴェルネマンの僚機を務めた軍人の中には、後に史上最多の撃墜数を誇ることになるエーリヒ・ハルトマンなどがいる。 == 経歴 == ツヴェルネマンは1916年3月26日にドイツ帝国キルヒヴォルビスに生まれた。彼は先述のようにエース・パイロットとして知られているが、最初に入隊したのはドイツ国防軍海軍である。1940年3月1日、海軍での基礎訓練を終えた彼はドイツ空軍第52戦闘航空団(JG52)第7中隊に伍長(Unteroffizier)として配属され、その2か月後のフランス侵攻に参戦した〔For an explanation of the meaning of Luftwaffe unit designation see Luftwaffe Organization〕。彼は7月にイギリスの戦闘機スーパーマリン スピットファイアを撃墜し、最初の戦果を上げた。1941年5月にはクレタ島の戦いにも参戦している。 1941年6月にバルバロッサ作戦が開始されると彼の戦果は急激に増加し、戦闘大隊(Jagdgruppe)の中で一目置かれる存在となった。1941年内に20機を撃墜した彼は、1941年12月12日に空軍名誉杯が贈られた。また、1942年5月には撃墜数が30機となり、5月25日にドイツ十字章金章を受章した。飛行兵曹長(Oberfeldwebel)となった彼は、6月23日に57機撃墜の戦功から騎士鉄十字章も受章している。9月にはさらに30機以上撃墜し、10月1日に4機を撃墜したことで総撃墜数103機となった。その戦功により、騎士鉄十字章の一階級上である柏葉付騎士鉄十字章を受章した。1943年の春、彼は少尉(Leutnant)へと昇進した。 JG52第9中隊に移ったツヴェルネマンはさらに活躍を伸ばし、1943年4月15日に113機目を、5月7日には117機目を撃墜した。そのうち、4月15日に撃墜した機にはソ連邦英雄である中尉が搭乗していた。5月末、彼は東部予備戦闘飛行隊に配属され、再び戦線に戻ったのは同年秋のことである。その際、所属がJG52からイタリアの(JG77)第3中隊へと変更されている。12月15日に再び配属が変わり、(JG11)第1中隊へと移った。そこでも彼は9機撃墜を誇っている。彼はそこでジークフリート・ジムシュ大尉の代理として中隊長を務めており、1944年4月1日に大尉(Hauptmann)へと昇進した。 1944年4月8日、ローテンブルクをJG11第I飛行隊と第II飛行隊とともに飛び立ったツヴェルネマンは、P-51によって先導されたB-24の編隊と遭遇した。6機のP-51と8機のB-24を撃墜したものの、JG11側も戦死11名、負傷3名の損害を受けた。彼もこの空中戦によって受けた銃撃により戦死した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヨーゼフ・ツヴェルネマン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|