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ユゼフ・ヴィエニャフスキ(Józef Wieniawski, 1837年5月23日 - 1912年11月11日)はポーランドのピアニスト、作曲家、指揮者、教育者。ポーランドの著名なヴァイオリニスト、ヘンリク・ヴィエニャフスキの弟である。名はポーランド語名Józef(ユゼフ)のほか、フランス語名Joseph(ジョセフ〔ピティナ・ピアノ曲事典 〕)、ドイツ語名Josef(ヨーゼフ)の表記も見られる。 現在では忘れられているが、かつてはヨーロッパ最高の音楽家の一人と評価されていた。最晩年になって若いジャーナリストに、いつまで音楽を続けるのかと尋ねられると、「若いうちはずっとさ!」と答えたという〔 〕。 == 生涯 == ユゼフ・ヴィエニャフスキは1847年から1850年までパリ音楽院で学び、ピエール・ジメルマンとアントワーヌ・マルモンテルに師事した〔Randel, Don Michael (1996), The Harvard Biographical Dictionary of Music , p. 984, Belknap Press of Harvard University Press, ISBN 0674372999〕。ツァーリ(ロシア皇帝、当時はポーランド王を兼任していた)より奨学金を得て、1855年にヴァイマルでフランツ・リストに、1856年から1858年までベルリンでアドルフ・ベルンハルト・マルクスに音楽理論を師事した〔。 1851年から1853年まで兄ヘンリクと演奏活動をしたのち、ピアノのヴィルトゥオーソとして独立して活動することを選んだ。ヨーロッパ演奏旅行では、ユゼフのピアノ協奏曲ト短調などの兄弟の自作だけではなく、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、フランツ・シューベルト、フェリックス・メンデルスゾーン、フランツ・リスト、ロベルト・シューマン、カール・マリア・フォン・ウェーバーの作品も演奏された。リストによると、ショパンの練習曲の全曲を初めて公開演奏したのはユゼフ・ヴィエニャフスキであり、パリ、ロンドン、コペンハーゲン、ストックホルム、ブリュッセル、ライプツィヒ、アムステルダムにてショパン・リサイタルを開催した〔。 パリに帰還するとジョアキーノ・ロッシーニ、シャルル・グノー、エクトル・ベルリオーズ、リヒャルト・ワーグナーと友好関係を築き、宮廷に出入りしてナポレオン3世の愛好する音楽家となった〔。その後モスクワに移り、1866年に設立したモスクワ音楽院のピアノ科に招かれ、1878年にはブリュッセル王立音楽院でピアノの教授となった〔。1902年から再びブリュッセルで過ごした〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ユゼフ・ヴィエニャフスキ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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