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ライヴ・アット・ウッドストック : ミニ英和和英辞書
ライヴ・アット・ウッドストック[うっど]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ウッド : [うっど]
 (n) wood

ライヴ・アット・ウッドストック : ウィキペディア日本語版
ライヴ・アット・ウッドストック[うっど]

ライヴ・アット・ウッドストック(Live At Woodstock)とは、ジミ・ヘンドリックス1969年ウッドストック・フェスティバルに出演した時の演奏を収録したライブ・アルバム。フェスティバルから30年を経た1999年、財団エクスペリエンス・ヘンドリックスの監修により、2枚組CDとして発売された。
== 解説 ==
1969年にエクスペリエンスが解散すると、ジミは旧友のベーシスト、ビリー・コックスをバンドに迎える。そして、サイド・ギタリストやパーカッション奏者も加えた大編成のバンド、ジプシー・サン・アンド・レインボーズを結成し、ウッドストック・フェスティバルに出演。ジミがフェスティバルの主催者から受け取ったギャラは、出演者の中で最高額の1万8千ドルだった〔オリジナル英文ライナーノーツ(デヴィッド・フリック、日本語訳:宇都宮祥)〕。映像の中ではコンサートスタッフからは「ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」と紹介されているが、MCではヘンドリックスは「ジプシー・サン・アンド・レインボーズ」と名乗っており、同バンドとしてはこのライブが初めてのギグだと語っている。
フェスティバルも終盤となった8月18日の午前9時に演奏が始められた。この頃には多くの観客が既に帰っており、残ったのは2万5千人程度だった〔が、フィードバック奏法を多用した「星条旗」(アメリカ国歌)は語り草となり、フェスティバルを記録したドキュメンタリー映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』(1970年公開)でもクライマックスで紹介された。このアメリカ国歌の演奏について、ローリング・ストーン誌では『まるで元々エレクトリック・ギターのソロ用に作られた曲のように響く』と評している〔Rollingstone.com 〕。
この時の音源の一部は、オムニバス・アルバム『ウッドストック』(1970年)、『ウッドストック2』(1971年)で断片的にリリースされた。1994年には、ジミ名義のライブCD『ウッドストック』(1994年)として発表されるが、実際の演奏曲目より7曲少ない上に、曲順も大幅に変えられていた(実際のライブでは中盤に演奏された「ファイア」から始まっている)。
エクスペリエンス・ヘンドリックスが監修した本作では、これまで未発表テイクとなっていた「スパニッシュ・キャッスル・マジック」「ラヴァー・マン」「フォクシー・レディ」「ヘイ・ジョー」を加え、曲順も実際のセット・リストに準じて並べ替えられた。ただし、サイド・ギタリストのラリー・リーがボーカルを担当した「マスターマインド」(ラリーのオリジナル曲)と「ジプシー・ウーマン」(インプレッションズのカヴァー)は収録されず〔、2008年9月現在も未発表のまま。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ライヴ・アット・ウッドストック」の詳細全文を読む




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