|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
ヨハン・オロフ・ラグナル・ヨハンソン(Johan Olof Ragnar Johansson, 1920年9月28日 - 1945年5月1日) は、第二次世界大戦中のスウェーデンの軍人。冬戦争ではフィンランド軍に、独ソ戦ではナチス・ドイツ武装親衛隊にスウェーデン人義勇兵として勤務した。 独ソ戦の中期から末期の間、第11SS義勇装甲擲弾兵師団「ノルトラント」の第11SS装甲偵察大隊(SS-Panzer-Aufklärungs Abteilung 11)の一員として各地を転戦し、1945年5月1日、ベルリン市街戦の最終局面であるベルリン脱出戦で戦死した。最終階級はSS伍長(SS-Unterscharführer)。他の日本語表記として、ラーグナー・ヨハンソン〔高橋慶史『続 ラスト・オブ・カンプフグルッペ』(大日本絵画・2005年)p320上部掲載写真の解説文。〕がある。 == 武装親衛隊入隊までの経歴 == 1920年9月28日、ラグナル・ヨハンソンはスウェーデン王国ヴェストラ・イェータランド県シェーブデ(Skövde)近郊のヴェーリング(Väring)に生まれた〔"Svenska frivilliga för Tyskland 1933-45"〕。 正確な日付は不明であるが、ヨハンソンはスウェーデンのファシズム政党である国家社会主義労働者党(NSAP、1938年末にSvensk Socialistisk Samlingと改称)の支持者となり、第二次世界大戦勃発後の1941年にスウェーデン軍に入隊、シェーブデのスカラボリ連隊(Skaraborgs regemente(P4))に配属された〔Axis History Factbook: Swedish volunteers: Ragnar Johansson - 〕。 大戦中、Svensk Socialistisk Samling(SSS)は独自の民兵組織「スヴェアボリ」(Sveaborg)を創設し、ソビエト連邦とフィンランドとの戦争(冬戦争および継続戦争)の際には所属の隊員をフィンランド軍にスウェーデン人義勇兵として派遣した。彼らスウェーデン人義勇兵(「スヴェアボリ」隊員以外の者も含む)はフィンランド軍内で1個大隊を構成して戦ったが、契約満了とともに大多数の者がスウェーデンへ帰国した。しかし、彼らの中にはその後もフィンランド軍で勤務を継続する者、もしくはナチス・ドイツ武装親衛隊に志願する者も現れた。ラグナル・ヨハンソンは前者としてフィンランド軍に残ったが、1944年に武装親衛隊に志願入隊した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラグナル・ヨハンソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|