翻訳と辞書
Words near each other
・ ラザーリ・ナウモヴィチ・ベルマン
・ ラザーリ・ベルマン
・ ラザール
・ ラザール (氷と炎の歌)
・ ラザール・カガノヴィッチ
・ ラザール・カルノー
・ ラザール・サミンスキー
・ ラザール・ニコラ・カルノー
・ ラザール・ニコラ・マルグリット・カルノー
・ ラザール・ベルマン
ラザール・ポンティセリ
・ ラザール・レヴィ
・ ラザール=ニコラ=マルグリット・カルノー
・ ラザーレフ
・ ラシ
・ ラシアンズ
・ ラシアンリズム
・ ラシアンルーブル
・ ラシェ
・ ラシェル・フェリックス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ラザール・ポンティセリ : ミニ英和和英辞書
ラザール・ポンティセリ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ラザール・ポンティセリ : ウィキペディア日本語版
ラザール・ポンティセリ[ちょうおん]

ラザール・ポンティセリ(Lazare Ponticelli、1897年12月7日 - 2008年3月12日)は、フランス陸軍およびイタリア陸軍の元兵士。第一次世界大戦に従軍したフランス軍兵士の中で、最後に亡くなった人物。
== 経歴 ==
北イタリア・ベットラに生まれた。6歳で父親と兄が亡くなり、近隣の家庭に預けられることとなった。9歳でフランス在住の兄を頼りパリに移住、新聞の売り子などを行った。1914年8月に年齢を偽り、フランス陸軍外人部隊に志願した。フランス北東部で任務に就いている。
1915年にイタリアが連合国側で参戦すると、イタリア陸軍への入隊を命ぜられた。彼は拒否したが、憲兵の護衛付きでイタリアへ送られた。イタリア陸軍では機関銃手としてオーストリア・ハンガリー軍と対峙した。イタリアでは砲弾により負傷を経験している。また、毒ガス攻撃も受けた。
第一次世界大戦後はフランスに戻り、1920年にパリに金属加工会社を起こしている。第二次世界大戦中はレジスタンスとして活動した。
晩年は娘とともに暮らしていた。第一次世界大戦に参加した数少ない存命者となってからは、フランス政府から、死去の際は国葬にしたいとの打診を受けていたが、当初は固辞していた。後に"第一次世界大戦に参加し死去した全ての男女の名において"ならば国葬を受け入れるとした。
2008年3月12日に死去。国葬は3月17日にオテル・デ・ザンヴァリッドで行われた。棺はフランス外人部隊の手によって運ばれた。葬儀後、パリの市民墓地に埋葬されている。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラザール・ポンティセリ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.