翻訳と辞書
Words near each other
・ ラシュカ郡
・ ラシュコ
・ ラシュコフ神経叢
・ ラシュスコ舞曲
・ ラシュタット
・ ラシュタット会議
・ ラシュタット条約
・ ラシュデン・アンド・ダイアモンズFC
・ ラシュト
・ ラシュトラクータ
ラシュト条約
・ ラシュヌ
・ ラシュモア
・ ラシュモア (ドック型揚陸艦)
・ ラシュモア山
・ ラシュモア山国立記念公園
・ ラシュリエ
・ ラシュリー
・ ラシュロス・ドフィーン
・ ラシュヴァ渓谷の民族浄化


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ラシュト条約 : ミニ英和和英辞書
ラシュト条約[らしゅとじょうやく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

条約 : [じょうやく]
 【名詞】 1. treaty 2. pact 
: [やく]
  1. (adv,n) approximately 2. about 3. some 

ラシュト条約 : ウィキペディア日本語版
ラシュト条約[らしゅとじょうやく]
ラシュト条約(Treaty of Resht)は、1732年1月21日イランギーラーン州の都市ラシュトで、ロシア帝国ペルシャの間で締結された条約。
この条約で、ロシアはクラ川の南の領土要求を放棄した。これは、ロシア・ペルシャ戦争1723年ピョートル1世によって征服した領土のデルベントバクー・ギーラーン州・マーザンダラーン州アスタラーバードも含まれている。見返りとして、ペルシャの支配者ナーディル・シャーはロシア商人に貿易特権を付与し、オスマン帝国に追われてロシア亡命中のグルジアの国王ヴァフタング6世をオスマン帝国軍をカルトリ王国から追い出せたらすぐに国王の座に復帰させる約束をさせた。この条項は1735年ギャンジャ条約でも確認された 。
なお、1732年時点でのペルシャはサファヴィー朝タフマースブ2世の治世下だが、パシュトゥーン人ギルザイ部族に奪われていた首都エスファハーンを奪回した摂政のナーディル・シャーが国政の実権を握っている状態であった。ナーディル・シャーは1736年にタフマースブ2世の子のアッバース3世を退位させて自らがシャーとして即位して、アフシャール朝を開いている。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラシュト条約」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.