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ラジオ巌流島 : ミニ英和和英辞書
ラジオ巌流島[しま]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りゅう]
  1. (n,n-suf) style of 2. method of 3. manner of 4. school (of thought) 
: [しま]
 【名詞】 1. island 

ラジオ巌流島 ( リダイレクト:デーモン・オーケンのラジオ巌流島 ) : ウィキペディア日本語版
デーモン・オーケンのラジオ巌流島[でーもん おーけんのらじおがんりゅうじま]
デーモン・オーケンのラジオ巌流島(デーモン・オーケンのラジオがんりゅうじま)は、ニッポン放送の制作で1992年7月から1995年3月まで放送されていたラジオ番組である。
月曜日から金曜日まで(一部の局は水曜日または木曜日まで)の約10分間放送されていた、いわゆる帯番組だった。
スポンサーは、当初は前々番組「TOSHIXハラスメント」、前番組「ウッチャンナンチャンのラジオな奴ら」に続いてダイハツの一社提供(一部の地域を除く)だったが、途中からニッポン放送では福武書店(現:ベネッセコーポレーション)と山芳製菓に提供が替わっている。その福武書店の雑誌「チャレンジランド」の誌上で、本番組のコーナーが展開されたことがあった〔「デーモン・オーケンのハッスル巌流島」206ページより。〕。
== 概要 ==
パーソナリティーは、ともにオールナイトニッポンのパーソナリティでもあったデーモン小暮閣下大槻ケンヂ(ちなみにこの両者は月曜1部において1990年6月を境に前後パーソナリティの関係でもある)。大槻の希望でこのコンビが実現したという〔デーモン・オーケンのハッスル巌流島『出版記念緊急特別対談!』のページより。〕。リスナーはペンネーム、ラジオネームの代わりに「島民ネーム」という名称を使っていた。
番組冒頭で、閣下・大槻のどちらかが、島民から寄せられた「叩き斬ってほしい人」に関するネタを読み、ネタ読み以外のどちらかが「叩き斬ってやる」という台詞と日本刀で叩き切るSEを流し〔このSEはオープニング以外の本編中でも「叩き斬ってやる」と言うと流されることがあった。〕、タイトルコールが行われていた。
タイトルコールは閣下が「デーモン」、大槻が「オーケンの」と言ったあとに揃って「ラジオ巌流島」と言っていたが、放送によっては「井上陽水奥田民生の〜」などと言ってみたり、「叩き斬ってやる」と言った大槻がそのまま「デーモン」と言ってしまったことがある。
スケジュールの都合で閣下のみの放送のときに「デーモン小暮のラジオ巌流島」と言ったこともある。
本番組企画段階の当初のコンセプトは、閣下の相撲好き、大槻のプロレス好きという特性を生かした格闘技番組だったといわれる。しかしこれでは番組が成り立ちにくいということになり、結局ネタ投稿を中心としたバラエティ番組という形に落ち着いた〔「デーモン・オーケンのハッスル巌流島」103~104ページより。〕。
閣下本悪魔、大槻本人も「いい加減な番組だった」と言うほど〔、本番組の収録は両名のスケジュールが合う日を選んで行わなければならなかったため変則的なことが多かった。第1回目の収録もニッポン放送のスタジオではなかった(下述)。また多い時で5週分をまとめて収録したことがあったり、聖飢魔II筋肉少女帯それぞれのツアー、公演先まで追っかけて行ったことも時々あった。そしてどうしても閣下、大槻どちらか一名しか来られなかった時にはピンチヒッターを迎えて収録したことも数回ある。どちらか一名だけの放送も多数あった(一時期、番組スタッフ自ら「通常通り1名でやりますか?」と言ったことがあるほどである)〔。
1993年8月には東京芝浦にて、本番組のイベント「ライブ巌流島」が、井上陽水真心ブラザーズを迎えて行われる。そして「陽水の芸名」のコーナーで募集されていた陽水の本番組における芸名が決定された(下述)。
投稿ネタが紹介されると、ノベルティとして緑地に黒文字の「島民票」(今で言うSuicaと同じ様なサイズ)がもらえた。ちなみにこの島民票の用途はほとんど「ラジオ巌流島の島民を証明する物」ということだった。また、その日最も面白かったネタには「5,000両」(5,000円)をプレゼントしていた〔ただし、面白いネタが無かった場合は、オープニングまたはエンディングのコーナーのネタに5,000両をプレゼントすることもあり、また面白いネタが複数あった場合には2人に2,500両ずつということもあった。〕。さらにスペシャルウィークには、2週で100,000両を用意し、面白いネタに対して振り分ける形でプレゼントしていた(もちろん1つのネタに5,000両を超える金額がプレゼントされることもある)〔ただ、面白いネタが少なかったためにスペシャルウィークの最終日になって60,000両が余ってしまい、急遽山分けプレゼントの募集が行われたことがあった。〕〔「デーモン・オーケンのハッスル巌流島」123~124ページより。〕。
一時、当時のヤングタイムでダントツという聴取率を記録したことがあった〔「デーモン・オーケンのハッスル巌流島」103ページより。〕。
番組のテーマ曲には、デーモン、オーケン両名の希望で伊福部昭作曲の「地球防衛軍マーチ」が使用された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「デーモン・オーケンのラジオ巌流島」の詳細全文を読む




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