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ラッセル・ウィルソン(Russell Carrington Wilson , 1988年11月29日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ出身のアメリカンフットボール選手。現在NFLシアトル・シーホークスに所属している。ポジションはクォーターバック(QB)。 == 経歴 == === プロ入りまで === オハイオ州シンシナティで生まれた彼は、バージニア州リッチモンドで育った。3歳の時に野球を始め、4歳の時に父親や兄とフットボールを始めた。 彼の先祖は、アメリカ連合国の奴隷であり、南北戦争で解放された。またネイティブアメリカンの血も少し混ざっている。 ウィルソンの祖父は、バージニア州のノーウォーク州立大学の学長を勤めた。ケンタッキー州立大学時代にはアメリカンフットボールとバスケットボールをしていた。 彼の父親は、弁護士で、アイビーリーグのダートマス大学でアメリカンフットボールと野球をしていた。1980年のプレシーズンには、サンディエゴ・チャージャーズで開幕ロースターを目指していた。母親は看護婦で特にlegal nurse consultant (LNC)(弁護士の補助をして医療裁判に対応する仕事)の資格を持つ。教育熱心な両親のもとに育った。 リッチモンドでの私立進学高校在籍中には、2005年に3,287ヤードを投げて40TD、ランでも634ヤードを走り15TDをあげた。最終学年の2006年には、3,009ヤードを投げて34TD、7インターセプト、ランでも1,132ヤードを走り18TDをあげた〔。 2006年7月23日、ノースカロライナ州立大学への進学を決めた。なお、デューク大学からも奨学金のオファーを受けていた。 ノースカロライナ州立大学では、2007年シーズンをレッドシャツ(選手として登録しないこと)で過ごした後、1年次の2008年、4年生QBダニエル・エバンズ、3年生QBハリソン・ベックと先発QBの座を争った。シーズン後半からは、先発QBに定着し、この年彼は先発した7試合で、最後の4試合を全勝し、4勝3敗の成績をあげた。東カロライナ大学戦では3TDをあげた。その年ラトガーズ大学とのパパジョンズコムボウルでは、前半だけで186ヤードを投げて1TD、46ヤードを走った。しかし前半終了間際、敵陣4ヤードラインからスクランブルした際にタックルを受けてひざを負傷した。この試合中にフィールドに復帰することはできず、彼をリリーフしたQBが3インターセプトを喫し、チームは23-29で敗れた。この年パス275回中150回成功、1,955ヤード、17TD、1INTの成績を残した。また116回のランで394ヤードを走り、4TDをあげた。この年彼はアトランティック・コースト・カンファレンスのファーストチームに選ばれたが、1年生QBがファーストチームに選ばれたのは史上初であった。 2009年9月19日の試合で、これまでアンドレ・ウッドソンが持っていたNCAA記録を更新する325回連続でインターセプトなしの記録を作った〔。この記録は10月3日のウェイク・フォレスト大学戦でのジョシュ・ブッシュにインターセプトされるまで379回まで伸びた〔。この記録は2012年11月10日、ルイジアナ工科大学のコルビー・キャメロンが更新するまで、NCAA記録であり続けた。 2010年は9勝4敗の成績で終えて、ウェストバージニア大学とのチャンプススポーツボウルでも23-7で勝利した〔。彼はパスオフェンスで、カンファレンスのQBトップの1試合平均274.1ヤードを獲得、トータルフェンスでもカンファレンストップの307.5ヤードを獲得した。2010年5月、コミュニケーションの学士号を取得し、3年でノースカロライナ州立大学を卒業した〔。 2011年1月、コロラド・ロッキーズのトレーニングキャンプに参加した。一方、NFLスカウトコンバインには招待されなかった〔。同年4月29日、残り1年を残してウィルソンへのノースカロライナ州立大学からの奨学金を停止することが同大学ヘッドコーチトム・オブライエンより発表された。 2011年6月27日、ウィスコンシン大学のヘッドコーチが、ウィルソンがその年ウィスコンシン大学でプレーすることを発表した。シーズン開幕戦のUNLV戦では255ヤード、2TDをあげるとともに、46ヤードのTDランを含む62ヤードを走り、チームは51-17で勝利した。この年彼はパス3,175ヤードを投げて33TD、4INTの成績をあげて、ビッグ・テン・カンファレンスのファーストチームに選ばれた〔。またグリーシー・ブリーズ・ビッグテン最優秀QBに選ばれた〔。12月3日のミシガン州立大学とのビッグ・テン・カンファレンス優勝戦では42-39で勝利、その試合のMVPに選ばれた〔。同年12月、Yahoo!スポーツからオールアメリカンサードチームに選ばれた〔。またハイズマン賞の投票では9位となる52ポイントを獲得した。2012年1月2日のオレゴン大学とのローズボウルでは、パス25回中19回成功、296ヤード、2TD、ランでも18ヤードを走り、1TDをあげたが、チームは38-45で敗れた。 この年、ウィスコンシン大学のシーズン記録となる3,175ヤード、33TD(ビッグ・テン・カンファレンスでは1998年にパデュー大学のドリュー・ブリーズがあげた39TDに次ぐ歴代2位の記録)をあげた。また、NCAAディビジョンIのシーズン記録となるQBレイティング191.8を記録している〔。 2012年1月28日のシニアボウルに出場した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラッセル・ウィルソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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