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ラテン通貨同盟(ラテンつうかどうめい)とは、ヨーロッパに存在した何種類かの通貨を統一し、通貨同盟に参加する全ての国で使用できる単一の通貨を作ることを目的とした19世紀の取り組みである。当時はほとんどの国の通貨が金や銀で作られていた。ラテン通貨同盟は、1865年に設立され1927年に解散した。多くの国がラテン通貨同盟の基準に基づいて硬貨を鋳造したが、それらの国はラテン通貨同盟の条約に公式に同意したわけではなかった。 ==歴史== ラテン通貨同盟は、通貨の満たすべき基準としてフランスのフラン金貨を採用した。フラン金貨は1803年にナポレオン一世(ナポレオン・ボナパルト)により導入され、5、10、20、40、50、100フラン硬貨が鋳造された。なかでも20フラン硬貨(純度90%、重さ6.45161 g、直径21 mmの金に刻印したもの)が最も一般的であった。フランスの制度では、フラン金貨は1:15.5の比率でフラン銀貨と交換することが可能であった。この比率は、1803年当時の法律上の2つのコインの相対的な価値に近いものだった〔 Henry Parker Willis, A History of the Latin Monetary Union (U. Chicago Press 1901) p.1〕。 1865年12月23日、フランス、ベルギー、イタリア、スイスの4カ国は条約を締結し、ラテン通貨同盟を結成した。 ナポレオン3世と教皇領の財政担当官であるジャコーモ・アントネッリの暗黙の合意により、貴金属の割合に関する規定を無視して、野心的な銀貨鋳造量の増加に乗り出した〔Even if this were true, it seems to have had no wider impact on the currency union itself. This charge was never mentioned in Willis' 332 page work on the history of the LMU. Willis refers to silver coinage leaving all of Italy in large quantities after 1865 when the Italian government ran huge budget deficits, but he says nothing about the Vatican〕。教皇領において発行される硬貨は急速に価値を下げ、聖座の威光により瞬く間に同盟国に流通していった〔Not borne out by references in coin catalogues, e.g. Krause & Mishler, Standard Catalog of World Coins, 19th century, which shows LMU standard finenesses for Papal States silver and gold coinage with no debasement〕。しかし、結局スイスとフランスの銀行によって教皇領において発行される硬貨は排除され、教皇領はラテン通貨同盟から除外された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラテン通貨同盟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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