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ラデク・ステパネク(Radek Štěpánek, チェコ語発音: ,1978年11月27日 - )は、チェコ・カルヴィナー出身の男子プロテニス選手。2012年全豪オープンと2013年全米オープン男子ダブルスで、インドのリーンダー・パエスとペアを組んで優勝した選手である。これまでにATPツアーでシングルス5勝、ダブルス18勝を挙げる。自己最高ランキングはシングルス8位、ダブルス4位。チェコの同僚選手たちからは“Steps”(ステップス)という愛称で呼ばれている。 == 来歴 == 父親の手ほどきで3歳からテニスを始め、1996年にプロ入り。1999年4月、地元チェコ・プラハの大会で同国のマルティン・ダムとペアを組んでダブルス初優勝。ステパネクの4大大会挑戦は、2002年のウィンブルドンから始まる。初めてのウィンブルドンでは3回戦まで進出したが、それ以来なかなか成績が伸びなかった。同年の全米オープン男子ダブルスで、ステパネクはイジー・ノバクとペアを組んで決勝に進出したが、マヘシュ・ブパシ(インド)&マックス・ミルヌイ(ベラルーシ)に 3-6, 6-3, 4-6 で敗れて準優勝になっている。 ダブルスではコンスタントに好成績を出していたステパネクだが、シングルス決勝の初進出はようやく2004年11月の「パリ・マスターズ」になってからである。この大会はATPマスターズシリーズの1つに指定されている大規模なトーナメントだが、ステパネクはこの大舞台の決勝でマラト・サフィンに 3-6, 6-7, 3-6 で敗れた。2005年は2大会でシングルス準優勝がある。 2006年2月26日、ラデク・ステパネクはオランダ・ロッテルダム大会の決勝でクリストフ・ロクス(ベルギー)を 6-0, 6-3 で破り、プロ入り10年目にしてATPツアー大会のシングルス初優勝を果たした。3ヶ月後、ドイツの「ハンブルク・マスターズ」決勝ではトミー・ロブレド(スペイン)に敗れる。ようやく4大大会でも、2006年ウィンブルドンで自己最高のベスト8に入った。準々決勝ではスウェーデンのヨナス・ビョルクマンと長い熱戦を繰り広げたが、6-7, 6-4, 7-6, 6-7, 4-6 で惜敗した。 2007年7月第3週のアメリカ・ロサンゼルス大会で、男子ツアーのシングルス2勝目を達成。9月21日-23日、ステパネクは3年ぶりにデビスカップのチェコ代表選手に起用され、「ワールドグループ・プレーオフ」の対スイス戦で3試合に出場した。第1試合でステパネクはロジャー・フェデラーに敗れたが、第3試合のダブルス戦と最終第5試合に勝ち、チェコ・チームはワールドグループ残留を決めた。 2008年の主な成績は、全仏オープンで初めての4回戦進出があった。デビスカップでも、チェコ・チームはワールドグループ準々決勝まで勝ち進み、ステパネクもワールドグループ1回戦・準々決勝の両方に起用された。11月に上海で行われた男子ツアー年間最終戦・テニス・マスターズ・カップでは、故障で途中棄権をしたアンディ・ロディックの代役として急遽出場している。 2009年度はツアーでシングルス2勝、ダブルス1勝を獲得し、全米オープンで初の4回戦に進出した。 2011年8月のワシントンD.C.の大会では、決勝でガエル・モンフィスを 6–4, 6–4 で破り2年半ぶりのツアー5勝目を挙げた。 2012年全豪オープン男子ダブルスでリーンダー・パエスと組み決勝に進出。決勝では4連覇を狙ったボブ・ブライアン&マイク・ブライアン組を 7–6(1), 6–2 で破り初の4大大会優勝を果たした。全米オープンではブライアン兄弟に敗れ準優勝している。スペインとのデビスカップ決勝では第1試合でダビド・フェレールに 3-6, 4-6, 4-6 で敗れたが、トマーシュ・ベルディハと組んだ第3試合のダブルスを制し通算2勝2敗で迎えた最終試合でステパネクはニコラス・アルマグロを 6-4, 7-6(0), 3-6, 6-3 で破りチェコは1980年(当時はチェコスロバキア)以来32年ぶりの優勝を果たした。 2013年全米オープンではリーンダー・パエスと組んだダブルスで決勝に進出した。アレクサンダー・ペヤ&ブルーノ・ソアレス組を 6–1, 6–3 で破り4大大会2勝目を挙げた。 ステパネクはオリンピックチェコ代表として、2008年北京五輪と2012年ロンドン五輪の2大会に出場している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラデク・ステパネク」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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