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ラトロワンヌ(、1926年 - 1954年)は、フランスで生産・調教された競走馬、および繁殖牝馬。競走馬としては未勝利に終わったが、アメリカ合衆国でバイムレックやブラックヘレンなどの母となり、アメリカを中心に一大勢力を誇る名門牝系ラトロワンヌ系を形成した。 == 経歴 == フランスの名オーナーブリーダーマルセル・ブサックの生産馬の一頭である。ブサック所有のもとで競走馬となっているが、フランスで7戦して1勝も挙げることができなかった。 1930年、繁殖牝馬となっていたラトロワンヌはゲインズバラの仔を身籠った状態でニューマーケットのディセンバーセールにおいて売りに出され、アメリカのオーナーブリーダーであったエドワード・ライリー・ブラッドリー大佐が1250ギニーの価格で購入した。アメリカケンタッキー州レキシントンにあるブラッドリー所有のアイドルアワーストックファームに移され、ここで後世に名を残す産駒を多数輩出した。 産駒14頭のうち10頭が勝ちあがり、そのうちの5頭がステークス競走勝ちを収めている。とくに1935年アメリカ最優秀3歳牝馬になったブラックヘレン、1940年のアメリカ二冠馬バイムレックの2頭の活躍が顕著で、この2頭はのちにアメリカ競馬名誉の殿堂博物館に殿堂馬として選定されている。 またこの2頭以外にも、競走成績こそ振るわなかったものの、繁殖入り後に後世の名馬の祖となった牝馬を多数輩出している。 * Big Hurry - 勝鞍はセリマステークスなど。Bridal Flowerなど多数のステークス勝ち馬を輩出、末裔にCaerleonやAllez France、Easy Goerなど。 * Baby League - Busherの母。末裔にアサティスやWoodmanなど。 * Businesslike - バックパサーの2代母にあたる。 * Big Event - メジロアサマの3代母にあたる。 1938年に雷雨に驚いて木に激突し、安楽死も検討されるほどの大怪我を負っている。しかしブラッドリーたっての願いで延命措置が取られ、ふたたび繁殖に戻れるまでに回復したというエピソードがある。この事故のあとに、前述のバックパサーの祖母となるBusinesslike(ビジネスライク)を産んでおり、後世にバックパサーの一族が存在したのはブラッドリーの英断の賜物であるとして語られている。 1946年にブラッドリーが亡くなると、ラトロワンヌはロバート・クレベルクとオグデン・フィップス、ジョン・ヘイ・ホイットニーの3人に買い取られ、最初はキングランチに移り、のちにホイットニー家のグリーンツリースタッドに移された。1954年1月30日に同地で死亡。28歳であった。 ラトロワンヌはアメリカで競走生活を送った馬ではないが、アメリカの競馬界に残した功績を称えてチャーチルダウンズ競馬場にラトロワンヌステークス(ダート7.5ハロン・3歳牝馬G2)が創設された〔現在はエイトベルズステークスに改称されている。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラトロワンヌ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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