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ラドフォード橋の戦い : ミニ英和和英辞書
ラドフォード橋の戦い[らどふぉーどきょうのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

ラドフォード橋の戦い : ウィキペディア日本語版
ラドフォード橋の戦い[らどふぉーどきょうのたたかい]

ラドフォード橋の戦い(Battle of Ludford Bridge)は、薔薇戦争の早い時期にヨーク派が最悪の損害をこうむった戦いである。
ブロア・ヒースの戦いでの勝利の後、ヨーク派はウスターに向かって進軍した。途中でヘンリー6世指揮する強大なランカスター軍に遭遇すると、すぐに拠点のあったシュロップシャーラドロー(Ludlow)のラドフォード橋まで後退した。
1459年10月12日、カレー方面軍司令官のアンドリュー・トラロップ(Sir Andrew Trollope)が部下を連れてランカスター派に寝返りし、ヨーク派の軍事・戦略情報と交換に恩赦を願い出た。これによってヨーク派は約3分の1と圧倒的な数的不利に追い込まれた。そのためその夜、ヨーク公と2人の息子、それからウォリック伯ソールズベリー伯は、勝ち目のないため撤退し、アイルランド、あるいはカレーへ落ち延びた。
翌朝、指揮官がいなくなった事を知ってヨーク派は雲散した。ヨーク派の拠点であるラドローはランカスター派に略奪されるがままだったという。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラドフォード橋の戦い」の詳細全文を読む




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