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ラバウルの戦いは太平洋戦争中、1942年の1月から2月にかけてオーストラリア委任統治領ニューギニア(現パプアニューギニア)ニューブリテン島で行われた戦い。日本では「R作戦」の一環として知られており、隣のニューアイルランド島での戦いもこの戦闘の一部とされる。 大日本帝国海軍主要基地であるカロリン諸島のトラック諸島に近い故にラバウルは重要であり、ニューギニアへの足がかりとして攻撃を開始。オーストラリアは抵抗少なく降伏した。 ラバウルの港を占領した後、日本軍はこの港を大規模な基地とし、ニューギニア本島に進出し、更にはポートモレスビーやオーストラリア大陸を目指した。 == 背景 == オーストラリア統治下のニューブリテン島には「雲雀部隊(lark force)」として知られる中佐指揮の1400名のオーストラリア陸軍守備隊が配置されていた。雲雀部隊は日本との関係が悪化した1941年3月から駐留を開始したの兵士716名やオーストラリア地方予備役部隊、ニューギニア志願ライフル部隊、一個海岸守備砲兵中隊、一個高射砲中隊、一個対戦車砲中隊、第2連隊第10野戦救急隊からの分遣隊を指揮下に置いていた。第2連隊第22歩兵に属する大隊軍楽隊は隊員全員が救世軍軍楽隊出身であり、救世軍から部隊ごと入隊させられたおそらく唯一の例であった〔オーストラリア軍司令部、即ち130名の第一独立部隊第2連隊はニューアイルランドの近郊の守備部隊に派遣された。〕。守備隊の主任務は太平洋地域の日本軍を監視する上で重要なラバウル近郊の〔ニューブリテン島北東の近郊にあった〕を守ることであった。しかしながら、空軍指揮官ジョン・レルー指揮下のオーストラリア空軍の派遣団は10機の訓練用軽飛行機、4機のハドソン爆撃機という微弱な攻撃能力しか持たなかった。 日本軍にとってもラバウルは帝国海軍の主要基地のあるカロリン諸島に近く重要であった。また、ニューブリテン島を獲得することで日本軍は深い水深を持つ港湾と、トラック諸島の防衛とアメリカ合衆国とオーストラリアの間の連絡を遮断を可能にする飛行場を得ることができた。R作戦の一環として、堀井富太郎指揮下の南海支隊はグアム占領に続いて、カビエンとラバウルの占領に任じられた。主に第55師団の部隊からなる侵攻旅団は歩兵第144歩兵連隊を主力とし、第144歩兵連隊は司令部、3つの歩兵大隊、砲兵部隊、暗号部隊、補給部隊に加え、騎兵第55連隊の数小隊、山砲兵第55連隊に属する軍楽隊、工兵第55連隊の数部隊などから構成された。1月14日、作戦の一環としてこの部隊はトラック諸島に向けて進軍を開始した。侵攻部隊を乗せた輸送艦は空母加賀・赤城のほか巡洋艦7隻、駆逐艦14隻、小型艦多数、潜水艦数隻などの第四艦隊の艦艇に護衛されていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラバウルの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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