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ラビア・カーディル( ()〔ウイグル語のRabiye をカナで表記する場合「ラビア」より「ラビヤ」の方がより適切と思われるが、現在「ラビア」の表記が主流となっている。同音異義語との混同を避ける意味でも「ラビヤ」の表記の方が望ましいであろう。〕、中国語:、ピンイン:、1947年1月27日 - )〔ラビア・カーディル自身は出生を1948年11月15日としている。(水谷 p. 17)〕は、ウイグル人の人権運動家、実業家。ウイグル人には姓は存在せず、「ラビア」は名、「カーディル」は父親の名である。なお英語では中国語のピンイン表記を基にしたRebiya Kadeerという表記が通用している〔本来は中国語を介さず、ウイグル語での発音を基にしたRabiye Qadirの方が適切である。〕。 新疆ウイグル自治区で実業家として成功し、中国人民政治協商会議委員を務めるなど、ウイグル人を代表する著名人として知られたが、民族問題に関する政権批判で失脚し、1999年に国家機密漏洩罪で逮捕、投獄された。2005年にアメリカ合衆国へ亡命した後は、世界ウイグル会議の議長として、中国におけるウイグル人の人権擁護を訴える活動を行っており、「ウイグルの母」〔とも呼ばれている。 == 実業家としての活動 == ラビア・カーディルは、新疆北部のアルタイ市の自営業者の家に生まれた。1962年に生家が「資本家」であるとして糾弾され、アクス市への移住を余儀なくされた。文化大革命中には、「不法に商売を行った」として批判され、これが原因で共産党員であった前夫と離婚するよう迫られたとされる。 1976年から洗濯業などで貯めた資金を元に、小売業を展開し成功を収め、ウルムチ市の二道橋街区に大規模な商業テナントビルを建てるなど不動産業でも活躍した。ソ連崩壊後は、中央アジア諸国での不動産取引や、貿易で巨額の利益を上げ、中国十大富豪の1人に数えられるまでになった〔水谷 pp. 17-24〕。 改革開放の波に乗り、企業家として成功したラビアは、共産党への入党を認められ、1993年には中国人民政治協商会議全国委員に選出されたほか、1995年に北京で開かれた国連の第5回世界女性会議に中国代表として出席。新疆ウイグル自治区商工会議所副主席、新疆女性企業家協会副会長などの役職を務めた。 また、ウイグル人女性の行う小規模事業に投資を行う「千の母親運動」を企画し、ウイグル人女性の経済的自立の促進に貢献した〔水谷 p. 32〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラビア・カーディル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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