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ラファウ・ブレハッチ : ミニ英和和英辞書
ラファウ・ブレハッチ[らふ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラフ : [らふ]
  1. (adj,n) rough 2. (adj,n) rough
ハッチ : [はっち]
 【名詞】 1. hatch 2. (n) hatch

ラファウ・ブレハッチ : ウィキペディア日本語版
ラファウ・ブレハッチ[らふ]

ラファウ・ブレハッチRafał Blechacz, 1985年6月30日 - )は、ポーランドピアニスト2005年の第15回ショパン国際ピアノコンクール優勝者である。
== 略歴 ==
ポーランドのクヤヴィ・ポモージェ県にあるナクウォ・ナド・ノテチョン(人口約2万人)にて、敬虔なクリスチャンの家庭に生まれる。両親とも音楽家ではないが、ブレハッチは幼い時から教会のオルガンを弾くようになり、教会牧師の勧めで4歳からオルガンを、5歳からピアノを始めた。クヤヴィ・ポモージェ県の県都ブィドゴシュチュ(ビドゴシチ)にあるルービンシュタイン音楽学校を卒業後、フェリクス・ノヴォヴィエイスキ音楽大学に学び、カタジーナ・ポポヴァ=ズィドロン教授に師事した。
青少年のためのポーランド・ショパンコンクール第2位(1999年)、アルトゥール・ルービンシュタイン国際青少年ピアノ・コンクール第2位(2002年)などを経て、2003年の第5回浜松国際ピアノコンクールで初めて国際コンクールに参加した。浜松国際コンクールでは、1位該当なしの2位に入賞する。コンクール参加時点まで、ブレハッチの自宅のピアノはアップライトであったため、これを知ったワルシャワ市が日本出発前の2ヶ月間、彼にグランドピアノを貸与したという逸話が残っている。2位入賞の獲得賞金で、彼は初めて自分のグランドピアノを買うことができた。浜松コンクールの翌年、2004年に第4回モロッコ国際ピアノコンクールで優勝する。
2005年10月、ラファウ・ブレハッチは第15回ショパン国際ピアノコンクールで優勝した。彼は同時に、マズルカ賞(ポーランド放送)・ポロネーズ賞(ポーランド・ショパン協会)・コンチェルト賞(ワルシャワ管弦楽団)・ソナタ賞(クリスティアン・ツィマーマン)も併せて総なめにした。同コンクールで「2位なし」の審査結果が出たのは史上初の出来事であった。ポーランド人の優勝者は、1975年の第9回コンクールを制したツィマーマン以来6回目(30年ぶり)となる。
2006年、ブレハッチはドイツ・グラモフォンと専属契約を締結した。ポーランド人の演奏家が同社と専属契約を結んだのは、先輩ピアニストのクリスティアン・ツィマーマン以来2人目となる。2007年10月、CDデビュー盤としてショパンの『前奏曲集』が発売された。
ブレハッチはショパン・コンクール優勝後も、2006年2007年2009年に来日公演を行った。2007年来日公演時のインタビューで、彼は「バッハのオルガン曲に魅せられて、音楽の探究を始めた」と語っている。
一見したところショパンに雰囲気がよく似ていると指摘される。ブレハッチがショパンになんとなく似ていることは2005年のショパンコンクールでも話題になった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラファウ・ブレハッチ」の詳細全文を読む




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