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ラミリーの戦い : ミニ英和和英辞書
ラミリーの戦い[たたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

ラミリーの戦い ( リダイレクト:ラミイの戦い ) : ウィキペディア日本語版
ラミイの戦い[らみいのたたかい]

ラミイの戦い(ラミイのたたかい、The Battle of Ramillies)は、スペイン継承戦争における戦闘の1つで1706年5月23日に現在のベルギーブラバン・ワロン州ラミイでイングランドオランダ同盟軍とフランスバイエルン軍が衝突した。ラミリーの戦いともいわれる。
== 戦闘前 ==
1704年ブレンハイムの戦いでイングランド軍総司令官マールバラ公ジョン・チャーチルオーストリア神聖ローマ帝国)の将軍プリンツ・オイゲンと共にフランス・バイエルン連合軍を撃破してドナウ川ライン川流域を奪還、ドイツ戦線を立て直したが、翌1705年、フランスからヴィラール公モーゼル川方面に派遣され、モーゼル川に向かったマールバラ公の進軍を妨害、6月にヴィルロワ公南ネーデルラント(ベルギー)からオランダを襲撃したためマールバラ公はモーゼル川から引き返さざるを得なかった。ネーデルラントではアントワープからナミュールに広がる防衛線を突破(エリクセムの戦い)、退却するヴィルロワを追撃しながらブラバントを転戦していたが、決戦という時に同盟国オランダが回避を主張したため止むを得ず攻撃を中止、成果を出せなかった。
モーゼル川からライン川に南下したヴィラールはライン川支流のモーデル川流域の都市アグノーを同盟側の将軍バーデン辺境伯ルートヴィヒ・ヴィルヘルムに奪われアルザスに後退したが、イタリア戦線はヴァンドーム公が攻勢に出てミランドラを陥とし、カッサーノの戦いでオイゲン率いるオーストリア軍に勝利、オイゲンの動きを封じて優位に立ったため、1705年は総じて同盟軍に不利な状況となった〔友清、P137 - P145。〕。
1706年になると状況は悪化、4月にヴァンドームがカルチナートの戦いでオーストリア軍を破りチロル付近に追い込み、5月にヴィラールも行動を起こし、アグノーを奪還して他のモーデル川流域の都市も奪いモーデル河畔を平定、北上してライン川支流のラウテル川流域も奪い、ドイツ戦線もフランス側有利に転じた。
ネーデルラントでもヴィルロワがフランス王ルイ14世の指示で攻勢に移り、5月19日ルーヴェンからデイレ川を渡り東のティーネンに向かった。マールバラ公は9日ハーグを出発、17日トンゲレンで待機したが、ヴィルロワのこの動きを知るとすぐに迎え撃つ方針を固め、南西に向かい、先にフランス軍がブラバントのラミイに布陣したことを知るとすぐさま戦闘を開始した。
両軍は小ヘート川を挟んで対峙、フランス軍左翼は小ヘート川左岸の村オートル・エグリーズに配置、中央はオフュという村にヴィルロワとバイエルン選帝侯マクシミリアン2世が待機、右翼は小ヘート川源流付近のラミイから更に南のムエーニュ川北岸の村タヴィエールまで広範囲に布陣した。対するイングランド・オランダ連合軍も小ヘート川右岸からムエーニュ川北岸まで軍を広げ、左翼はデンマーク騎兵・オランダ歩兵がタヴィエールから東のフランクネー付近に布陣、ムエーニュ川と小ヘート川源流の間の街道はオランダの部将アウウェルケルク卿がオランダ騎兵を率いて待機していた。中央はマールバラ公が、右翼はイングランドの部将オークニー卿ラムリーが布陣していた。
開戦前にマールバラ公は左右両翼に騎兵を配置したが、部将達は反対した。左翼は障害物の無い平原なので問題ないが、右翼の小ヘート川両岸は湿地帯で馬の通行が出来ないことが理由だったが、マールバラ公は聞き入れず配置を変更しなかった〔友清、P161 - P163。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラミイの戦い」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Battle of Ramillies 」があります。




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