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アレックス・ラミレス・ジュニア(Alex Ramirez Jr.、1983年9月1日 - )は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手(投手)。 元プロ野球選手のアレックス・ラミレスは義理の父。 == 来歴 == 2004年に義父のアレックス・ラミレスを頼って来日。練習生としてヤクルトの二軍の練習に参加した。同年末、残留交渉が難航したラミレスの契約の一環として、ジュニアとも選手契約が行われた。ラミレスが2005年からの3年契約の為、ジュニアも3年契約となった。 野球経験がないまま投手扱いで入団した。この当時は直球は130km/hに満たず、制球もままならなかった。当初は右投とされていたが、左でも投げられることが判明したため、投手をするときは左で投げるようになった。 2005年の春キャンプでは、2日目で太ももの張りを訴えてダウン。運動不足によるただの筋肉痛であった。3月18日、二軍の教育リーグ(湘南シーレックス戦)で実戦初登板。1回を投げ3四球1失点という結果に終わっている。 2006年、二軍公式戦初登板を果たす(1/3回を投げ2失点)。同年の登板はこの1試合のみであり、防御率は54.0となった。一軍での出場は、なかった。 2007年、二軍戦ながら奪三振(石橋尚登から)も記録した。球速も130Km/hを超すようになるなど、それなりに成長はしていたが、ラミレスの退団に伴い同年11月30日付で自由契約となった。3年間の二軍の通算成績は3試合、0勝0敗、防御率10.80。 自由契約後は帰国し企業家を目指し勉強中であったが、2008年4月23日、四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスに入団。8月17日付で、本人の申し出により退団した。在籍中の成績は6試合に登板し、22イニングを投げて1勝2敗、防御率6.95であった。 帰国後2008年12月に結婚。2009年現在は休学していた大学に復学しビジネスの勉強中とのこと〔『ラミ流』(アレックス・ラミレス著、中央公論新社、2009年)p.87〕。2010年4月、長男のD・J・ラミレスが誕生。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アレックス・ラミレス・ジュニア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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