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ラモラール・フォン・エフモント : ミニ英和和英辞書
ラモラール・フォン・エフモント[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ラモラール・フォン・エフモント ( リダイレクト:ラモラール・ファン・エフモント ) : ウィキペディア日本語版
ラモラール・ファン・エフモント[ちょうおん]

ラモラール・ファン・エフモント:Lamoraal van Egmont, :Lamoral d'Egmont, 1522年11月18日 - 1568年6月5日)は、フランドルの軍人、政治家。八十年戦争初期の指導者の一人。エフモント伯エグモン伯エグモント伯の称号で知られる。
1541年、エフモント伯を相続した。当時ネーデルラント地方を支配していた神聖ローマ皇帝カール5世アルジェ遠征に従軍、1554年イングランドへ渡り、カールの子フェリペ(フェリペ2世)とメアリー1世の婚儀を成立させた。1557年、フェリペ2世の対フランス戦におけるフランドル騎士団の指揮官を任じられ、サン・カンタングラヴリーヌ(1558年)で戦功を挙げ、1559年、フェリペからフランドル、アルトワ両州の知事に指名された。
故郷に戻り、スペインによるネーデルラント属領支配に憤った彼は、カルヴァン派の浸透し始めた地元ブルジョワ階級に支持を受け、オラニエ公ウィレム1世、ホールン伯フィリップらとともに、フェリペの派遣した総督でパルマ公妃マルゲリータおよび枢機卿グランヴェルの専制に抵抗した。1564年には、グランヴェルをスペインへ退去に追い込んだ。
しかしフェリペが宗教裁判政策を改めることはなく、ラモラールはその緩和のためにスペイン宮廷へ赴くが、むなしく帰国した。その後1566年に組織された中小貴族の反対同盟には加わらなかったが、ラモラールに対する王の疑惑は解けなかった。1567年、新総督アルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレドが着任するとただちに逮捕され、翌年の裁判でモンモランシーとともに死刑を宣告されてブリュッセルで斬首刑に処された。
== 関連項目 ==

* エグモント (劇音楽) - エフモント伯を主人公としたゲーテの悲劇のためにベートーヴェンが作曲。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラモラール・ファン・エフモント」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lamoral, Count of Egmont 」があります。




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