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ラヨシュ1世のナポリ遠征 : ミニ英和和英辞書
ラヨシュ1世のナポリ遠征[らよしゅ1せいのなぽりえんせい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [とお]
  1. (adj-no) distant 
遠征 : [えんせい]
  1. (n,vs) (1) expedition 2. campaign 3. (performer's) tour 4. (2) away series (baseball) 

ラヨシュ1世のナポリ遠征 : ウィキペディア日本語版
ラヨシュ1世のナポリ遠征[らよしゅ1せいのなぽりえんせい]

ラヨシュ1世のナポリ遠征、あるいはナポリへの冒険洪語:Nápolyi kaland)は、ハンガリー国王ラヨシュ1世率いる軍勢がナポリ王国との間で1347年から1352年にかけて行った戦争である。
== 開戦までの経緯 ==
1343年ナポリ王国ロベルト賢明王が死去した。唯一の息子であったカラブリア公カルロ1328年に死去しており、またカルロの子で生き残っていたのは2人の娘のみで、このうち長女のジョヴァンナ1世が王位を継承した。ジョヴァンナ1世はアヴィニョン教皇クレメンス6世から王位の公的な承認を受けたが、これは教皇の名目的な臣下となったことを意味していた。
ジョヴァンナ1世の最初の夫として、共にアンジュー家の同族であるハンガリー国王カーロイ1世の息子アンドレア(アンドラーシュ)がナポリに迎えられていたが、アンドレアはより洗練された妻ジョヴァンナから激しい敵意を受けていた。アンドレアは自身の王位を望んでいたものの、の称号を受けただけだった。クレメンス6世は44000マルクが支払われた後の1345年6月14日に、王号をアンドレアに授けることを受け入れたが、それはジョヴァンナ1世死後の継承者としてのみであった。
ジョヴァンナ1世は従兄で同じく同族のと情事を結ぶと同時に、その母(フランスフィリップ6世の異母妹でジョヴァンナの母方の伯母にあたる)の強い影響下に置かれていた。教皇勅書が王国に届けられる前の9月16日に、カトリーヌと関係のある占い師と高級娼婦によって、アンドレアはアヴェルサにて狩りを行っている最中に暗殺された。王国最高判事ベルトラモ・デル・バルゾは暗殺者を見つけ出して罰したが、暗殺にはジョヴァンナが関与していたとの噂が広く囁かれるようになった。
1346年5月、アンドレアの兄のラヨシュ1世騎士王はクレメンス6世のもとに使節を送って、ジョヴァンナ1世の廃位を求めた。教皇から満足した回答を得られなかったことから、ラヨシュ1世は兵を召集してダルマチアザラで乗船させた。しかしこの時、アドリア海沿岸の都市はヴェネツィアに対して反乱を起こしていたことから、ラヨシュ1世の艦隊は港で足止めされた。足止め状態からの解放の試みに失敗した末にラヨシュ1世は遠征を延期し、この間にザラはヴェネツィアの保護下に戻った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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