翻訳と辞書
Words near each other
・ ラリーサ・シェピチコ
・ ラリージャパン
・ ラリースピリット
・ ラリーノ
・ ラリーポイント
・ ラリーポイント制
・ ラリーレイド
・ ラリーレイド・モンゴル
・ ラリー・E・クレイグ
・ ラリー・J・フランコ
ラリー・アドラー
・ ラリー・アメリカ
・ ラリー・アルゼンチン
・ ラリー・アルゼンティーナ
・ ラリー・イタリア・サルディニア
・ ラリー・ウィリアムス
・ ラリー・ウィリアムズ
・ ラリー・ウィリアムズ (ジャズ・ミュージシャン)
・ ラリー・ウィリアムズ (投資家)
・ ラリー・ウィリアムズ (歌手)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ラリー・アドラー : ミニ英和和英辞書
ラリー・アドラー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ラリー・アドラー : ウィキペディア日本語版
ラリー・アドラー[ちょうおん]

ラリー・アドラー(, 1914年2月10日 - 2001年8月7日)は、アメリカ合衆国出身のハーモニカ奏者〔telegraph.co.uk 〕。本名はローレンス・セシル・アドラー(Lawrence Cecil Adler)〔〕。
== 生涯 ==
ボルチモアのユダヤ系ロシア人の家に生まれた。2歳でアル・ジョルソンの物まねをし、6歳からピアノを始める。10歳で地元の聖歌隊の最年少の先唱者となり、ピーボディ音楽院に通うようになったが、落第して放校処分となった。その後、ハーモニカを独学し、1927年にメリーランド・ハーモニカ・チャンピオンシップに挑戦して優勝している。その翌年、ニューヨークに出てヴァイオリニストのナット・ブルシロフの事務所に所属し、ルディ・ヴァレーのクラブで演奏したり、ディズニー映画のハーモニカの音の吹き替えなどをしたりして、ハーモニカ奏者として活動するようになった。1931年にはブロードウェイで演奏するようになり、フレッド・アステアらと共演している。また、イギリスやオーストラリアにも演奏活動に行き、1936年にはシリル・スコットからハーモニカとピアノのためのセレナーデ、1941年にはジーン・バーガーからハーモニカ協奏曲をそれぞれ献呈された。
1940年頃からタップ・ダンサーのポール・ドレイパーと組んで演奏活動をするようになったが、1948年に赤狩りの影響で業界から干され、1949年にロンドンへの移住を余儀なくされてしまった〔〕。イギリスにわたってからも演奏活動を続け、アーサー・ベンジャミンマルコム・アーノルドダリウス・ミヨー等からも作品の献呈を受けるようになった。演奏家として自らのレパートリーを広げるために、ヨハン・ゼバスティアン・バッハアントニオ・ヴィヴァルディらのヴァイオリン協奏曲をハーモニカに編曲している。また、モーリス・ラヴェルボレロジョージ・ガーシュウィンラプソディ・イン・ブルー等もハーモニカで演奏できるように編曲している。
ロンドンにて没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラリー・アドラー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.