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ラリー・ネクテル : ミニ英和和英辞書
ラリー・ネクテル[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ラリー・ネクテル : ウィキペディア日本語版
ラリー・ネクテル[ちょうおん]
ラリー・ネクテル(Larry Knechtel、1940年8月4日 - 2009年8月20日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身のスタジオ・ミュージシャン
== 人物 ==
ピアノオルガン、各種キーボードベースを主に演奏した。またブルースハープも得意とする。
1960年代初頭、フィル・スペクターのレッキング・クルーとして活躍した。その後ダンヒル・レコード系アーティストなど多くのレコーディングセッションを務める。また、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」でのピアノ演奏が有名である。この曲でネクテルはポール・サイモン等と共にグラミー賞の最優秀歌唱編曲賞を受賞した〔Bridge Over Troubled Water - Simon & Garfunkel | Awards | AllMusic 〕。
1971年にブレッドの正式メンバーにもなった。「ギター・マン」ではワウペダルを駆使した印象的なリード・ギターを聴かせた。
1991年、エルヴィス・コステロのバック・メンバーとして来日している。
1990年代後半以降は一時期音楽ビジネスから遠ざかっていたが、1998年THE ALFEEのミニアルバム『Pride』で「明日に架ける橋」のカバーを収録するにあたり、ネクテルにピアノを弾いてほしいというバンド側からの依頼を受ける。当初は断るつもりであったが、関係者からTHE ALFEEが歌う「明日に架ける橋」のデモテープを聴き、この曲に対するメンバーのメッセージに感銘を受け、久し振りにレコーディングスタジオに入ったという。
1996年から1998年のブレッドの再結成ワールド・ツアーに参加した。
2006年にはディクシー・チックスのアルバム『Taking the Long Way』にキーボードで参加、その後の全米ツアーにも同行するなど健在振りを見せた。
2009年8月20日、入院していたワシントン州の病院にてこの世を去る。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラリー・ネクテル」の詳細全文を読む




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