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ファン・ホセ・ランダエタ(Juan Jose Landaeta、男性、1978年10月7日 - )は、ベネズエラ・マトゥリン出身のプロボクサー。元WBA世界ミニマム級暫定王者。サウスポーのボクサーファイター。 == 来歴 == 1999年12月7日、プロデビュー(初回KO勝ち)。 2000年12月16日、WBAフェデラテンミニマム級王座獲得。その後、初防衛戦を行うことなく返上。 2002年5月28日、同国人のノエル・アランブレットと空位のWBAフェデラテンミニマム級王座を争い、12回判定負け。王座返り咲きならず。なお、この試合はWBA世界ミニマム級王座の挑戦者決定戦も兼ねて行われた。 2003年10月17日、WBAフェデボルミニマム級王座を獲得。 2004年1月31日、世界初挑戦。WBA世界ミニマム級王者となったアランブレットの防衛戦不履行に伴い、同級の暫定王座決定戦に出場。元同級王者チャナ・ポーパオイン(タイ)と対戦。ダウンを奪われる苦戦を強いられたが、12回判定勝ちを収め、王座獲得に成功。5月5日の初防衛戦ではチャナと再戦し、前回同様フルラウンドの死闘の末、引き分け。辛くも防衛に成功する。その後、正規王者のアランブレットは元王者新井田豊との防衛戦を翌日に控えた7月2日の計量で失格となり王座剥奪。試合も12回判定負け。新井田が新王者に輝いた。 2004年10月30日、正規王者の新井田豊と王座統一戦を行ったが、12回判定負けを喫し、王座から陥落。 2005年5月28日、WBAフェデラテンミニマム級王座決定戦再出場。カルロス・メロ(パナマ)を12回判定に降し、王座再獲得。WBA世界ミニマム級王座の挑戦者決定戦も兼ねていたため、同時に指名挑戦権も獲得した。しかし、初防衛戦を行うことなく8月に王座返上。世界王座への指名挑戦権も行使することはなかった。その後、1階級上のライトフライ級に転向。 2006年8月2日、2階級制覇を懸けWBA世界ライトフライ級王座決定戦に出場。亀田興毅と対戦し、1度のダウンを奪う健闘を見せるも、僅差の12回判定負け。しかし、この試合は開催国となった日本からも「ランダエタが勝っていた」という声が多く聞かれるほどの社会問題にまで発展。帰国後、日本のファンから母国の日本大使館を通じて判定に対する謝罪や激励のメールが数多く送られた。12月20日、亀田と再戦したが、今度は相手のアウトボクシングの前に12回判定で完敗。 2008年6月7日、WBAフェデラテンフライ級王座決定戦に出場。ロナルド・バレラ(コロンビア)を11回判定に降し、WBAフェデラテン王座の2階級制覇を果たした。 2010年1月30日、1年7ヵ月ぶりの試合。フランシスコ・ロサス(メキシコ)とWBA世界ライトフライ級挑戦者決定戦で対戦したが、12回判定で敗れた。 2014年12月18日、ラ・ビクトリアにてホセ・イグナシオ・サンチェスと対戦し、7回20秒TKO勝ちで4年11ヵ月ぶりの復帰戦を白星で飾った。 2015年6月7日、兵庫県三田市の三田市総合文化センター郷の音ホールでマーク・ジョン・ヤップとバンタム級6回戦を行い、0-3(53-60、54-59が2者)の判定負けを喫し8年半ぶりとなる日本のリングで復帰2戦目を白星で飾ることが出来なかった〔8年半ぶりの来日、ランダエタ判定負け Boxing News(ボクシングニュース) 2015年6月7日〕。 2015年6月、富山県富山市のトヤマボクシングジムへ3年契約で移籍した。 2016年4月27日、大田区総合体育館でWBA世界ライトフライ級王者の田口良一と対戦し2階級制覇を目指す〔田口良一はランダエタとV3戦、河野公平の相手も決定 Boxing News(ボクシングニュース) 2016年3月23日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ファン・ランダエタ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Juan Jose Landaeta 」があります。 スポンサード リンク
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