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ランドマクナリー : ミニ英和和英辞書
ランドマクナリー[らん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ランドマクナリー : ウィキペディア日本語版
ランドマクナリー[らん]

ランドマクナリー(Rand McNally)は、アメリカ合衆国地図専門出版社。旅行用、参考資料用、商用、教育用など、様々な目的に沿った地図、地図帳、教科書、地球儀などを扱っている。さらに、オンラインでも一般消費者向けの街路地図や案内図、業務用の輸送経路最適化ソフトウェアや距離データなどを提供している。本社は、シカゴ近郊のイリノイ州スコーキー(Skokie)にあるが、カリフォルニア州アーバインにも支社があり、ケンタッキー州リッチモンド(Richmond)には配送センターがある。
== 沿革 ==

=== 草創期 ===
1856年ウィリアム・ランド(William Rand)がシカゴで印刷所を開いた。その2年後、アイルランドからやって来たばかりの移民だったアンドリュー・マクナリー(Andrew McNally)が、この印刷所に雇われた。ランドの印刷所は、『シカゴ・トリビューン』紙の前身にあたる新聞社と大きな取引があり、やがて1859年に、ランドとマクナリーはトリビューン紙全体の印刷を引き受けることになった。1868年に、2人は正式にランドマクナリー社(Rand McNally & Co.)を設立し、トリビューン紙の印刷部門を全面的に買収した。同社は当初、シカゴで急速に拡大を見せていた鉄道事業を相手に、切符や時刻表の印刷に力を注いだが、翌年には詳細な鉄道路線案内を出して、事業をさらに拡張させた。1870年には、事業はさらに拡大してビジネス・ディレクトリーや絵入り新聞『''People's Weekly''』の印刷が始まった。社内に伝わる伝承によると、1871年シカゴ大火の際に、ランドマクナリー社は大急ぎで印刷機2台をミシガン湖の砂浜に持ち出して埋め、数日後には事業を再開できたという。
ランドマクナリー社が最初に手がけた地図は、当時の新技術で、経費を節減できたwax-engravingという凸版の手法を用い、1872年12月に登場した鉄道案内図であった。ランドマクナリー社は1873年に株式会社化され、ランドが社長に、マクナリーが副社長に就任した。地図に、商取引の企画に役立つデータを盛り込んだ『''Business Atlas''』は1876年に初版が発行された。この地図帳は、『''Commercial Atlas & Marketing Guide''』という名称で、現在も刊行が継続されている。
1877年には、市販書籍部門が創設され、『''The Locust Plague in the United States'' (合衆国のイナゴ禍)』などが刊行された。ランドマクナリー社は、1880年から教育用の地図を出版し始め、最初の地図、地球儀、地理教科書に続いて、世界地図帳が刊行されるようになった。1884年には、『''The Secret of Success'' (成功の秘訣)』という本を1冊目として一般書の出版も始まり、1894年には教科書部門が設立されて『''The Rand McNally Primary School Geography'' (ランドマクナリー版 小学校地理)』が刊行された。同じく1894年には、カレブ・S・ハモンド(Caleb S. Hammond)を代表者にしてニューヨーク市に事務所が設けられた。後にハモンドは、自らの地図会社ハモンド・マップ(Hammond Map)を設立することになった。
ランドマクナリー社の最初の道路地図『''New Automobile Road Map of New York City & Vicinity'' (ニューヨーク市近郊の新自動車道路地図)』は、1904年に刊行された。1910年には、G.S. Chapin から、沿道や交差点の写真が掲載された『''Photo-Auto Guides'' (写真入り自動車ガイド)』シリーズを取得した。アンドリュー・マクナリーの孫で、フレデリック・マクナリー(Frederick McNally)の息子アンドリュー・マクナリー2世(Andrew McNally II)は、このシリーズの「シカゴ-ミルウォーキー編」で使う写真を、自分の新婚旅行の途上で撮影した。ランドマクナリー社は出版事業を拡大し続け、『''The Real Mother Goose''』(1916年)、『''Kon-Tiki''』(1950年)など、児童書の分野でもベストセラーを出した。
ランドマクナリー社は、大手の地図出版社として最初に、道路に番号を付して表示するシステムを取り入れた。同社の地図製作者のひとりだったジョン・ブリンク(John Brink)が、このシステムを最初に編み出し、1917年イリノイ州ピオリアの地図に用いた。ランドマクナリー社は、道路番号を入れた地図を作製するだけでなく、道路沿いに、自社が付けた道路番号を表示する標識を数多く設置した。このシステムはその後、各州や連邦政府の道路行政当局に採用されるようになった。この頃、石油産業は、アメリカ人に各地を自動車で旅行させて、より多くガソリンを消費してもらおうと、道路地図への関心を急速に広げていた。1920年、ランドマクナリー社は、ガルフ石油(Gulf Oil)の注文に応じて、ガソリンスタンドで無料配布する道路地図を発行し始めた。1930年ころには、ランドマクナリー社には、ジェネラル・ドラフティング(General Drafting)とゴーシャ(Gousha)の2社が主要な競争相手となっていたが、ゴーシャ社は、ランドマクナリー社の販売部門の代表だった人物が創業した会社であった。1924年に最初に発行された『''Rand McNally Auto Chum'' (ランドマクナリー版 自動車の友)』は、やがて全米を網羅する『''Rand McNally Road Atlas'' (ランドマクナリー版 道路地図帳)』へと発展し、1960年には全面カラー版が発行され、1993年には完全にデジタル化されることになる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ランドマクナリー」の詳細全文を読む




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