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ランドール・ベイリー : ミニ英和和英辞書
ランドール・ベイリー[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ランドール・ベイリー : ウィキペディア日本語版
ランドール・ベイリー[らん]

ランドール・ベイリーRandall Bailey、男性、1974年9月13日 - )は、アメリカ合衆国プロボクサーフロリダ州オパーロッカ出身。元IBF世界ウェルター級王者。元WBA世界スーパーライト級暫定王者、元WBO世界スーパーライト級王者。左右のワンツーから放たれるストレートやアッパーによるワンパンチKOが最大の武器で判定でリードを奪われても一発で試合をひっくり返す能力がある。愛称は''The Knock-Out King''。
== 来歴 ==

1996年プロデビュー。初回TKO勝ち。
1999年の世界タイトル挑戦までに初回でのKO・TKO勝ちは18試合中11試合だった。
同年5月15日、フロリダ州にてWBO世界スーパーライト級王者カルロス・ゴンザレスに挑戦。開始早々から打ち合いになり、右フックでグロッキーになったかに見えたベイリーは直後に左フックで痛烈なダウンを奪って、そのままレフェリーが試合を止め、スーパーライト級での世界タイトルマッチ最短KO記録となる初回41秒の高速KO勝ちで王座獲得に成功した。
同年12月11日、ミシシッピ州でヘクター・ロペスと初防衛戦を行い、9回TKO勝ち。判定でも僅差でリードを守っていたが、苦しみながら初防衛に成功した。
2000年4月8日、フランスパリでロッキー・マルチネスと2回目の防衛戦を行い、7回開始1秒ドクターストップによるTKO勝ちで2回目の防衛に成功した。
同年7月22日、フロリダ州でエネル・フリオと3回目の防衛戦を行うも、12回2-1の僅差判定(111-113、111-114、115-111)負け、王座から陥落した。
2002年2月2日、ペンシルバニア州でデメトリオ・カバロスとWBA世界スーパーライト級暫定王座決定戦を行い、3回KO勝ち。スーパーライト級での2冠目を達成した。
同年5月12日、プエルトリコサンフアンでディオベリス・ウルタドとWBA世界スーパーライト級王座決定戦とIBA世界スーパーライト級タイトルマッチを行い、採点ではリードを奪っていたが7回2分2秒KO負け。
2003年1月4日、ワシントンD.Cにて、デマーカス・コーリーが持つWBO世界スーパーライト級王座に挑戦。12回判定負けで返り咲きならず。
2004年1月15日、カリフォルニア州イシュー・スミスWBCアメリカ大陸ウェルター級王座決定戦、USBAウェルター級王座決定戦並びにNABO北米ウェルター級王座決定戦を行い、2回にダウンを奪われ劣勢になり、12回0-3の判定負け。
2004年12月11日、マンダレイベイ・イベントセンターにて、WBO世界スーパーライト級王者ミゲール・コットに挑戦。6回1分30秒負傷によるTKO負け。
2006年10月13日、フロリダ州でシェーン・ガッレゴスとIBA世界スーパーライト級王座決定戦を行い8回TKO勝ち。王座獲得に成功し、同王座は1回防衛した。
2008年1月18日、フロリダ州でアンソニー・モーラとWBCラテンスーパーライト級王座決定戦を行い、5回2分30秒TKO勝ちで王座獲得に成功した。同王座は1度も防衛することなく返上。
2009年8月28日、フロリダ州のハードロック・ホテル・アンド・カジノで、IBF世界スーパーライト級王者ファン・ウランゴと対戦したが11回TKO負け。〔新鋭クラウド戴冠 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年8月29日〕。
2010年12月10日、ベルギーアントウェルペンでサイド・オウアリと対戦したが2回オウアリが体勢を崩して放送席に落ちて負傷したため無効試合になった。
2012年6月9日、MGMグランド・ガーデン・アリーナにて、マニー・パッキャオVSティモシー・ブラッドリーの前座でマイク・ジョーンズとIBF世界ウェルター級王座決定戦を行う。相手のジョーンズは26戦全勝で70%超のKO率、大方はジョーンズが有利の下馬評だった。判定で最大8点差(93-97、92-98、91-99)が付く大劣勢となるが、ベイリーはあきらめず、10回に右ストレートでジョーンズからダウンを奪い、11回に右アッパーで再びダウンを奪う。ジョーンズは6カウント目で起き上がるも、ふらついたのと鼻と口からひどい出血のジョーンズを見たレフェリーが試合をストップ、11回終了間際2分52秒KO勝ち。大逆転でアンドレ・ベルトが返上したIBF世界ウェルター級王座を獲得し、2階級制覇に成功した〔 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年6月11日〕。 自身の10年振りの王座復帰と同時に、ベイリーは終了後涙を流し歓喜に浸った。
同年10月20日、バークレイズ・センターにて元WBC・IBF世界スーパーライト級統一王者デボン・アレクサンダーと初防衛戦に臨むが、0-3の判定負けで初防衛に失敗し王座から陥落した。
2013年11月23日、フンベルト・トレドとの1年1か月振りの復帰戦を行い、トレドがレフェリーを押したため失格を宣告され、8回2分15秒失格勝ちを収め意外な形で再起に成功した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ランドール・ベイリー」の詳細全文を読む




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