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ハラマ(''Jarama'' )は、イタリアの自動車メーカー、ランボルギーニが1970年から1976年まで生産したグランツーリスモである。名はスペイン・マドリード郊外にあるハラマ・サーキットに由来する。 == 概要 == 当初設計を担当したのはランボルギーニ・ミウラに続いてジャンパウロ・ダラーラであった〔『幻のスーパーカー』pp.31-54「シンクロニシティ」。〕。年間1,000台規模の生産を予定しており、この時点ではボアφ82mm×ストローク62mmのV型12気筒3,929cc〔3.14159×(8.2/2)×(8.2/2)×6.2×12≒3929.07。〕の片バンクを利用し大量生産型ランボルギーニ用として開発されていたボアφ82mm×ストローク62mmの直列6気筒1,965cc〔3.14159×(8.2/2)×(8.2/2)×6.2×6≒1964.53。〕DOHCエンジンを搭載する予定だった〔。ボディは鍛造鋼板を溶接して組み立てたセミモノコックで、2+2ながら足元のスペースを切り詰めて操縦席を前進させホイールベースを2,380mmに納めている〔。1968年4月にダラーラが退職し、設計は次席チーフエンジニアだったパオロ・スタンツァーニが引き継ぎ、イスレロに代わる2+2のグランツーリスモに位置づけを変更されてV型12気筒エンジン搭載となり、充分に熟成された〔。 車体のデザインは、ミウラ、エスパーダ同様、ベルトーネに委ねられ、チーフデザイナーのマルチェロ・ガンディーニが担当した。 1970年3月のジュネーヴ・ショーでデビューした。 ミッドシップ2座のミウラやカウンタックと比較すると地味であり、完全な4シーターのエスパーダほどのスペースはなく、ラインナップ上は中途半端なモデルのように思われたが、実用的な2+2レイアウトを持ちながら2座席のライバル・フェラーリ・365GTB/4の2,400mmよりも更に短いホイールベースを活かして優れた操縦性を持ち、サーキットでは時折ミウラよりも良いタイムを出した〔。また静かで快適であり、エアコンの効きも良く、故障も少なく運転しやすく、実用性を兼ね備えたスポーツカーであった〔。ランボルギーニのテストドライバーだったボブ・ウォレスは「ボクの最もお気に入りのクルマだ」「あれこそ本当のランボルギーニだった」と語っている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ランボルギーニ・ハラマ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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