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ラ・バングアルディア(, ; , スペイン語で「前衛」)は、スペイン・バルセロナに本社を置く新聞(日刊紙)〔。2011年まではスペイン語のみで発行されていたが、2011年5月3日からはスペイン語版とカタルーニャ語版の二言語版が発行されている。カタルーニャ州でもっとも読まれている新聞である。 ほぼカタルーニャ州のみで読まれているにもかかわらず、マドリードに拠点を置くエル・パイス、エル・ムンド、ABCに次いで、スペインの日刊紙として4番目の発行部数を誇る。フランコ独裁政権下ではフランコ主義イデオロギーに従っていたが、現在の政治思想は中道である。 == 歴史 == 1881年2月1日、イグアラーダ出身の2人の実業家、カルロス・ゴドーとバルトロメ・ゴドーによって、バルセロナで創刊号が発行された。創刊時の紙名はディアリオ・デ・ロス・ポリティコス・デ・アビソス・イ・ノティシアス(発表と情報のための政治的新聞)であり、バルセロナ市議会の支配をもくろむの機関紙として発行された。 1887年12月31日にはリベラル党機関紙としての発行を終えた。バルセロナ万国博覧会の初日である1888年1月1日には紙名をラ・バングアルディアに変更し、また政治的に独立した形態となり、朝刊と夕刊を発行するようになった。ラ・バングアルディアはスペイン最古の新聞のひとつであり、1880年代のアルフォンソ12世の王政復古から1970年代のフアン・カルロス1世の王政復古まで、すべての政体変更を経ても生き残っているカタルーニャ地方唯一の新聞である。 スペイン内戦が終結した1939年からの1978年まで、フランコ独裁政権のイデオロギーに適応するために、紙名にエスパニョーラ(Española)という単語を冠していた。フランコ体制期にはマドリードのABCとともにスペインの二大日刊紙のひとつだった〔。 1966年にマヌエル・フラガ・イリバルネ情報・観光大臣が新聞・定期刊行物法を公布し、検閲が撤廃されて表現の自由への道が開かれると、1966年から1975年までのスペインでは1270社もの新聞社が開設された〔野々山真輝帆『スペインを知るための60章』(エリア・スタディーズ)明石書店, 2002年, pp.248-254〕。1970年時点でラ・バングアルディアはスペイン最高の発行部数を持ち、マドリードのとともに発行部数20万部を超える2紙のひとつだった〔。この時にはABCと国営紙のが10万部から20万部で両紙に続いていた〔。1980年代の発行部数は約19万部であり、スペイン最高の発行部数を維持した〔。ABC、1975年創刊のエル・パイス、ヤ、プエブロ、、がラ・バングアルディアに続いた〔。1970年代末から1980年代にかけて、集中と統一(CiU)と密接な関係にあった。1984年にはエル・パイスの発行部数が30万部を超え、ラ・バングアルディアは発行部数首位の座を明け渡した〔。1999年の発行部数は21万部であり、エル・パイス(44万部)、ABC(30万部)、1989年創刊のエル・ムンド(28万部)に次ぐ第4位だった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラ・バングアルディア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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