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舞踊詩《ラ・ペリ》()は、ポール・デュカスが1912年に完成させたバレエ音楽。妖精のペリについてのペルシャ神話(アレクサンドロス・ロマンス)を基に、人間の不老不死への執着が主題とされている。 ==楽曲== ===作曲の経緯=== ポール・デュカスは、レオン・バクストの衣裳と舞台装置によるバレエ《ラ・ペリ》のためにダンス音楽を作曲するようにロシア・バレエ団から依嘱され、1911年に「1幕の舞踊詩()」の作曲に着手する。蓮の花の精ペリはナターリヤ・トゥルハノヴァ〔トゥルハノヴァはデュカスの当時の愛人であった(リチャード・バックル、鈴木晶訳『ディアギレフ ロシア・バレエ団とその時代』リブロポート、1984年、218ページ)。〕、イスカンデル王はヴァーツラフ・ニジンスキーが演じることが決まっていたが、セルゲイ・ディアギレフが介入し、トゥルハノヴァはニジンスキーの相手役が務まるほどの力量ではないと言い出して、公演をキャンセルしてしまう。それでもデュカスはトゥルハノヴァのためにこのバレエ音楽を完成させた。 デュカスが生前に出版した最後の作品であり、また最後の管弦楽曲である。この作品については次のような逸話が残されている。晩年のデュカスは、自己批判が昂じるあまり、ついに自分の不満な作品を片っ端から暖炉にくべて焼き捨ててしまうことにした。いよいよ《ラ・ペリ》の自筆譜にも手が伸びようとした瞬間、知人が訪ねて来てその現場を目撃し、何とか考え直してくれるようにと懇願した。その時は渋々承諾した巨匠であったが、その後この作品に対する評価を好転させることとなり、出版譜として公にすることにする。さらにそれから数年後には、《》(「ラ・ペリ」の前奏用ファンファーレ )を追加作曲し、バレエ音楽としてだけでなく、演奏会用の楽曲としても、いちだんと体裁を整えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラ・ペリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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