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ラースロー・ブダイ : ミニ英和和英辞書
ラースロー・ブダイ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ラースロー・ブダイ ( リダイレクト:ブダイ・ラースロー ) : ウィキペディア日本語版
ブダイ・ラースロー[ちょうおん]

ブダイ・ラースローハンガリー語:Budai László, 1928年7月19日 - 1983年7月2日)は、ハンガリー出身の元サッカー選手サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワードミッドフィールダー
== 経歴 ==
1950年代マジック・マジャールと呼ばれたハンガリー代表の一員。ずんぐりした体形ながら精力的かつ勇敢なプレーを持ち味とし、代表ではストライカーを務めるコチシュ・シャーンドルとのコンビネーションプレーを得意とするウインガーとして活躍した
1948年フェレンツヴァーロシュTCに移籍すると、翌1949年にリーグ制覇に貢献。1951年に同僚のチボル・ゾルターンやコチシュと共にブダペスト・ホンヴェードへ引き抜かれると、3度のリーグ優勝と1度のミトローパ・カップ優勝に貢献した。
ハンガリー代表としては、1949年5月2日中央ヨーロッパ選手権、対オーストリア戦で代表デビューをすると〔、1959年に引退するまで国際Aマッチ39試合出場10得点を記録した〔。また、1950年9月24日アルバニア戦では4得点(試合は12-0でハンガリーの勝利)を記録している〔。
マジック・マジャールの一員として1952年ヘルシンキオリンピック金メダル、1953年の中央ヨーロッパ選手権優勝に貢献、1953年ウェンブリー・スタジアムで行われたイングランドとの親善試合にも出場した。1954年FIFAワールドカップ・スイス大会では1次リーグの韓国戦、準決勝のウルグアイ戦での顕著な活躍に関わらず、決勝戦はフェレンツ・プスカシュの控えとなった。
また1958年FIFAワールドカップ・スウェーデン大会でも代表メンバーに選出されたが、出場機会を得ることは出来なかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ブダイ・ラースロー」の詳細全文を読む




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