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ラーマナ・マハリシ : ミニ英和和英辞書
ラーマナ・マハリシ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ラーマナ・マハリシ ( リダイレクト:ラマナ・マハルシ ) : ウィキペディア日本語版
ラマナ・マハルシ[ちょうおん]

''シュリー・ラマナ・マハルシ(サンスクリット語:रामन महर्षि、タミル語:ரமண மகரிஷி)は南インドの聖者。(1879年12月30日 - 1950年4月14日)
解放に到達するための直っすぐな道として真我の探求(サンスクリット語:आत्म विचार、英語:Self-enquiry)を推奨した。アートマンは「真我」をヴィチャーラは「探求」を意味する。英語ではアートマンを大文字で始まるSelfとして、自我を小文字のselfとして区別して表記される。近年の日本語訳は、大文字のSelfを「真我(アートマン)」として「自我(self)」と厳密に区別している。
== 生涯 ==
1879年12月30日、南インド、タミル・ナードゥ州のマドゥライの近くにあるティルチュリ村で生まれる。ヴェンカタラーマンと名付けられる。生家は現在、父の名スンダラム・アイヤールにちなみスンダラ・マンディランと名づけられ「ラマナ・ハウス」という名で残されている。
1896年7月中ごろ、16歳の頃に突如として起こった死の体験に触発された内的探求から、完全な、無限の、不死の、実在かつ意識かつ至福である真我(自ら、アートマン)、または真実(真理)こそが私であると悟る。土日ごとに寺院を訪れ、熱烈な宗教的な喜びをもって寺院の周りを回る敬虔な性格であったが、特別に宗教的な書籍に親しんだり、瞑想などの修練をしたことはなかった。
同年8月末、巡礼地であるティルヴァンナーマライの古来よりシヴァ神の顕現とされるアルナーチャラの丘に呼ばれるように家を出て、生涯をアルナーチャラから離れることはなかった。ティルヴァンナーマライに来た当初、沈黙を守っていたが、自然とその存在は知られるようになり、次第に多くの人々が訪れるようになった。
ラマナ・マハルシという名前は、1907年ころに訪問したガナパティ・シャーストリーによって命名され、以後広まった。最初の頃は、アルナーチャラの周辺にある寺院や洞穴に住んでいたが、1922年12月ごろから、アルナーチャラのふもとにある、母親のアラガンマルのお墓がある場所に定住し、そこが現在のラマナ・アシュラムに発展した。
1950年4月14日、午後8時47分に死去。亡骸は、火葬されずに、サマーディ・ホールの地下に安置されている。現在のアシュラムはマハルシの実弟の孫にあたるV.S.ラマナンにより管理されており、世界各国から訪問する信奉者を受け入れている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラマナ・マハルシ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ramana Maharshi 」があります。




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