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リキ・ラリアート : ミニ英和和英辞書
リキ・ラリアート[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

アート : [あーと]
 【名詞】 art
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リキ・ラリアート ( リダイレクト:ラリアット#主な使用者および技名称 ) : ウィキペディア日本語版
ラリアット[ちょうおん]

ラリアット(''Lariat'')は、プロレス技の一種である。アメリカ合衆国では主にクローズライン(''Clothesline'')と呼称される。
相手の首元や胸に自分の腕の内側部分を打ち当てる打撃技である。ラリアートと表記される場合もある。
== 概要 ==
1970年代後半にスタン・ハンセン(前PWF会長)が自身のフィニッシュ・ホールドウエスタン・ラリアット(西部式投げ縄打ち)」の名称で使い始め、以後日本マット界で広く使われるようになった。海外マットでは同型の技が「クローズライン」として普及しているが、ハンセンは「ラリアットは自身のアメリカンフットボール経験を活かしたオリジナル技であり、激突時の衝撃を吸収する柔軟かつ強靭な下半身が必要」という。1970年代後半、ハンセンはこの技でアントニオ猪木のライバルとなる足がかりを掴み、やがて日本でスーパースターの地位を築いた。それと同時にラリアットは彼の代名詞的な必殺技となる。技を編み出す際の逸話として「ハンセンが全日に初来日した際に見たジャイアント馬場の必殺技であるランニング・ネックブリーカー・ドロップをヒントにした」という俗説があるが上記の通りハンセンは否定している。
アメリカでは、ブラックジャック・マリガンマスクド・スーパースタービッグ・ジョン・スタッドなど、1970年代後半にハンセンと同じテリトリー(WWWFジョージアミッドアトランティックなど)をサーキットしていた大型選手もラリアット(クローズライン)を使用することがあった。マスクド・スーパースターは自身の得意技であるフライング・ネックブリーカー・ドロップについて、日本のプロレス雑誌のインタビューにおいて「1976年頃、ハンセンのウエスタン・ラリアットを見たマネージャーグレート・マレンコのアドバイスで使用するようになった」と語っている〔『デラックス・プロレス』1982年5月号P95「マイ・フェイバリット・ホールド:マスクド・スーパースターのフライング・ネックブリーカー・ドロップ」(1982年、ベースボール・マガジン社)〕。
1980年代に入るとハンセン以外の選手にも多く使用されるようになる。ハンセンとほぼ同時期に新日本プロレスに来日していたハルク・ホーガンは、改良型のラリアットを「アックスボンバー」という名前で日本マット参戦時の必殺技として使い(肘の角度と打点にラリアットとの差異がある。後述を参照)、ロード・ウォリアーズによるアニマルが肩車した対戦相手へホークがコーナーから飛び込んでラリアットを使う複合技など、アレンジ技も開発されるようになった。
WWE世界チャンピオンのジョン・ブラッドショー・レイフィールド(JBL)のクローズライン・フロム・ヘルはフットボールで鍛えたダッシュ力を生かし、体ごとぶち当たる勢いで突進し、腕を振り抜いて叩きつける。彼は同郷であるスタン・ハンセンを尊敬しており、かつてはハンセンのリングコスチュームまでそっくり真似ていたこともあるが、ラリアットに関しては、テリー・ゴディの打ち方を参考にしたと語っている。
日本のプロレスにおいては、1970年代まではフィニッシュ・ホールドやオリジナルホールドは、他のレスラーは使ってはいけないという暗黙のルールがあったが、アントニオ猪木がハンセン戦で掟破りの逆ラリアットを決めてみせた。そんな中、長州力はハンセンと何度となく対戦し、ラリアットによってことごとく撃沈されていた。その破壊力を身をもって知った長州は、これを自分の技に出来ないものかと工夫した結果、スタン・ハンセンが新日離脱後の1982年1月1日後楽園ホールでの試合で、アニマル浜口への試し斬りに成功し、自分のフィニッシュ・ホールドにしてしまう。レスラーとしては背の低い長州の出すラリアットは相手に低い体勢をとってもらう必要があった。
彼は後に藤波辰爾との抗争で、自らロープに飛んだ反動で相手に向かって走って行き、相手の喉下に腕を叩き込むのと同時にマットに叩きつける技をリキ・ラリアットと呼ばせている。全日本プロレスでは長州同様に背の低い阿修羅・原が、同じようにハンセンにラリアットによって倒され続けた後、これを真似て自らの必殺技とした(「ヒットマン・ラリアット」と呼ばれた)。その後、様々な選手のラリアットに、レスラーのリングネームやニックネームに関連した名称が付けられた(ラッシャー木村の「ラッシング・ラリアット」、ジャンボ鶴田の「ジャンボ・ラリアット」など)が、多くのレスラーが使うようになった1990年代以降は、一部の例外を除いて(後述の項目を参照)単に「ラリアット」と呼ばれている。
2000年代にはこの技は強靱な上半身を誇る小橋建太佐々木健介小島聡らがフィニッシュ・ホールドとして使っている他、繋ぎの技として多くのレスラーが使っている。
橋本真也は海外遠征から帰国した頃を除いてラリアットを試合で繰り出すことはなかった。他の闘魂三銃士蝶野正洋武藤敬司)も試合でラリアットを使うことはほとんど無い(武藤はラリアットを「ただ腕を横に出すだけ」と評している。ただしグレート・ムタは花道ラリアットを得意としていた)。
ハンセンは多くの選手がラリアットを使用していることについて「皆が使いたがるのはこの技がいい技である証拠だ」とコメントしており、不快感を抱いたりはしていない。ハンセン自身が相手のラリアットで負けたことも何度かある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラリアット」の詳細全文を読む




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