|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 砦 : [とりで] (n) fortress ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight ・ 戦い : [たたかい] 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict
リゴンアー砦の戦い(Battle of Fort Ligoneir、別名ロイヤルハンナの戦い、ロイヤルハノンの戦い)はフレンチ・インディアン戦争の戦闘である。1758年10月12日、フランス軍と、同盟関係にあるインディアン軍が、イギリス軍の砦であるリゴンアー砦での戦闘で、近くにあるフランス軍のデュケーヌ砦から撃退されたものである。リゴンアー砦はその時点でまだ建設中であった。 ==歴史的背景== フレンチ・インディアン戦争初期の凄絶なブラドック遠征で、イギリスは、フランス支配下にあるデュケーヌ砦の攻略に失敗し〔Borneman, pp.47-48〕〔Borneman, pp.54-56〕1758年のフォーブスの遠征でやっとこの砦を奪うことができた〔History of Westmoreland County Volume 1, Chapter 1, Part 2 〕。フォーブスの遠征では、このために道を整備させた。かつてのブラドックロードでは、年内にデュケーヌ砦に到達する見込みはなかったからだ。アレゲニー山脈からロイヤルハノンクリークまでの道を整備させ、その道の終点に〔Borneman, pp.156-158〕冬季宿営のため、兵士たちはリゴンアー砦の建設を始めた。この砦はフォーブスとスイス出身の士官ヘンリー・ブーケット(Henry Boucquet)により、にちなんでリゴンアー砦と名付けられた〔。 これらの襲撃に応戦するため、ブーケットはジェームズ・グラントに750人の兵をつけてデュケーヌの威力偵察を命じた。グラントは明らかに、早く勝利をものにして栄誉を受けようとしており、9月14日に砦を攻撃した(デュケーヌ砦の戦い)。デュケーヌ砦の指揮官であるフランソワ=マリー・ル・マルシャン・ド・リニェリはグラントを罠にはめ、彼を捕囚して、兵たちの半分近くを殺し、または負傷させた。リニェリの砦は物資が不足しつつあり、補給線はイギリスによるフロンテナック砦の戦いによって切断されていた。イギリス軍の前進を阻むため、そして物資を奪うという望みを持って、リニェリはリゴンアー砦に攻撃を仕掛け〔Fowler, p. 161〕、デュケーヌ砦の、実質すべての軍勢である440人のトゥループ・ド・ラ・マリンと150人のレナペ族を、シャルル・フィリップ・オーブリ〔イギリス側の証言にあるド・ヴィトリではない。〕の指揮のもとリゴンアー砦に向かわせた〔〔Cubbison, p. 141〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リゴンアー砦の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|