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リザ・デル・ジョコンド : ミニ英和和英辞書
リザ・デル・ジョコンド
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


リザ・デル・ジョコンド : ウィキペディア日本語版
リザ・デル・ジョコンド

リザ・デル・ジョコンド(、1479年6月15日 - 1542年7月15日 / 1551年頃)、またはリザ・ゲラルディーニ()は、イタリアフィレンツェトスカーナの旧家であるゲラルディーニ家の女性。夫であるフランチェスコ・デル・ジョコンドがルネサンス盛期の画家レオナルド・ダ・ヴィンチに依頼して描かせた肖像画は、リザの名前から『モナ・リザ』と呼ばれている。
リザの生涯についてはあまり伝わっていない。フィレンツェで生まれ、後にフィレンツェの行政官となる絹布商人フランチェスコに10代で嫁いだ。5人の子供に恵まれ、平穏でごく普通の中流階級の暮らしを送ったと考えられている。リザは年長だったと思われる夫よりも長生きした。
リザの死後数世紀を経て、『モナ・リザ』は世界でもっとも有名な絵画作品となっていったが、モデルとなった実在の女性リザ・デル・ジョコンドの存在は忘れられていった。実在のリザとは無関係に、美術学者や美術愛好家によって『モナ・リザ』は世界的に有名なアイコンとなり、商業化されていったのである。しかしながら、2005年にリザこそが『モナ・リザ』のモデルだったということが決定的に証明された〔。
== 幼少期と家族 ==
リザの出身家であるゲラルディーニ家は、もともとフィレンツェの旧家で貴族階級の家柄ではあったが、年代を経るとともにその勢いを失っていた〔Pallanti 2006, p. 58〕。当時のゲラルディーニ家は、生活に不自由することはなかったがとりたてて裕福ということもなく、農地からあがる収入を生計にあてていた。当時のフィレンツェはヨーロッパでもっとも発展していた都市の一つで経済面でも成功を収めていたが、貧富の差が非常に大きな都市でもあった〔Pallanti 2006, pp. 17, 23, 24〕。
リザの父親であるアントンマリア・ディ・ノールド・ゲラルディーニは、1465年にリザ・ディ・ジョヴァンニ・フィリッポ・デ・カルドゥッチと結婚した。しかしながら最初の妻リザは出産時に死亡し、1473年に後妻に迎えたカテリーナ・ルチェッラも出産時に死去している〔Pallanti 2006, p. 37〕。リザの母親はゲラルディーニが1476年に結婚した三人目の妻で、ピエラ・スピネッリの娘ルクレツィア・デル・カッチアである〔。当時のゲラルディーニ家は、キャンティ (:en:Chianti) に、小麦、ワイン、オリーヴオイルを産出し、家畜も飼育できた6箇所の農地を所有、あるいは賃貸していたこともあった〔Pallanti 2006, pp. 41-44〕。
リザは1479年6月15日にフィレンツェのヴィア・マッジョ(マッジョ通り)で産まれたが〔、長年の間、ゲラルディーニ家の田舎の別荘のひとつであるグレーヴェ郊外のヴィッラ・ヴィニャマッジョ(ヴィニャマッジョ邸)で産まれたと考えられていた。リザという名前は父方の祖母の名前にちなんで名付けられている〔Pallanti 2006, p. 40〕。リザは7人姉弟の長子で、後にジネヴラら3人の妹とジョヴァングアルベルト、フランチェスコ、ノールドの三人の弟が産まれた〔Pallanti 2006, p. 44〕。
ゲラルディーニ一家はフィレンツェではサンタ・トリニタ教会 (:en:Santa Trinita) 近くに住んでいたが、後にサント・スピリト教会 (:en:Santo Spirito, Florence) 近くの借地へ引越している。これは、それまで住んでいた家が損壊し、その修繕費用を捻出することが不可能となったためではないかと考えられている。その後ゲラルディーニ一家は現在のヴィア・デイ・ペーピ(ペーピ通り)に引越し、さらにサンタ・クローチェ聖堂の近くへと居を移した。このとき近隣のヴィンチ村にはレオナルド・ダ・ヴィンチの父セル・ピエロ・ダ・ヴィンチが住んでいた〔Pallanti 2006, pp. 45-46〕。ゲラルディーニ一家は、フィレンツェからおよそ32キロ南にあるポッジョ村のサン・ドナートに小さな別荘を所有していた〔Zöllner 1993, p. 4〕。リザの父方の祖父にあたるノールドは、死去する際にサンタ・マリーア・ヌオーヴァ病院にキアンティに所有していた農場を遺贈していた。この縁でゲラルディーニはこの病院が所有していた農地を借り、小麦を育てるために夏の間中一家そろってその農地のカディ・ペーサと呼ばれる家で過ごしていた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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