|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
リターンエースは日本の競走馬。1995年、東京障害特別、阪神障害ステークス、京都大障害に優勝した障害競走の名馬である。 == 戦績 == 中央競馬で競走生活を送る。1990年9月に平地競走でデビューする。おもに短距離戦で自己条件戦を勝ち抜き、重賞でも1992年の金鯱賞で2着に入るなどなかなかの活躍を見せるが、生来の気の悪さからもまれ弱いところがあり、少頭数で馬群がばらけやすい障害競走へ転向することになる。 そして1994年10月23日の障害未勝利戦に出走すると、いきなり2着に3.6秒差の大差をつけて勝利する。続く400万、そして阪神、京都のオープンも楽勝して4連勝。中でも4戦目の障害オープンでは障害競走としては破格の上がり3ハロン36秒8を叩き出す内容であった。 そして、次走の東京障害特別(春)では、前年の最優秀障害馬ブロードマインドが66キログラムの負担重量を嫌って回避したこともあり、重賞初挑戦、62キログラムのトップハンデながら単勝1番人気に推される。レースでは積極的に逃げを打ち、途中襷コースでバランスを崩し一時ハイビームに先頭を譲るが、最終の第3コーナーからは独走態勢に入り後続に2.4秒差の圧勝。続く阪神障害ステークス(春)でもまったくの一人旅のまま2.3秒差、そして京都大障害(春)では最初の障害で大きく躓き、その後も危ない飛越を繰り返しながらも結果的には1.5秒差。これで障害戦7戦7勝、障害重賞3連勝となる。 陣営は中山の大障害コースを克服するには障害競走で10戦ほどの経験が必要との判断から、秋シーズンは京都、東京のオープンを叩き、10戦目で中山大障害へ挑む計画であったが、放牧先からの帰厩後に脚部を故障。引退に追い込まれた。 その後、東京農工大学の馬術部で乗馬になったが、1999年9月25日に野外で走行中に転倒、骨折して予後不良と診断され同日中に安楽死となった。 STARHORSEの初代版、また現在はPROGRESS Returnsに登場していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リターンエース」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|