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リチャード・スプルース : ミニ英和和英辞書
リチャード・スプルース[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リチャード・スプルース : ウィキペディア日本語版
リチャード・スプルース[ちょうおん]

リチャード・スプルース(Richard Spruce 、1817年9月10日1893年12月28日)はイギリスの植物学者である。ビクトリア朝を代表する植物採集家の一人で15年間にわたって、アマゾン川流域をアンデス山脈からその河口までを探検し、ヨーロッパ人の入ったことのなかった多く場所を訪れた〔Pearson, M. ''Richard Spruce: Naturalist and Explorer''. Hudson History, Settle, Yorkshire. 2004.〕。スプルースが1849年から1864年の間に集めた植物や歴史的な遺物や民俗学的な史料は、王立植物園(キューガーデン)やダブリンのトリニティ・カレッジマンチェスター大学で研究された。
==略歴==
ヨークシャーのハワードキャッスル近くのガンソープ(Ganthorpe)で教師の息子として生まれた。子供時代から自然科学が好きで、植物の一覧を作るのが楽しみであり、天文学にも興味をもった。16歳の1834年にガンソープ周辺で集めた植物の一覧を作った。数年かけて集め、名前を調べ、アルファベット順に配置し、403の種がふくまれていた。3年後に485種の顕花植物を含む『モルトン地区の植物一覧』をまとめ、希少な植物については、1840年に出版された、植物学者のヘンリー・ベインズ(Henry Baines)の『ヨークシャーの植物』に参考にされた。1845年にロンドン植物雑誌に23のイギリスの蘚苔類の新種について発表し、その半分は自ら発見した新種の植物であった。同年にThe Phytologistに『ヨークシャーの蘚苔類の一覧』("''List of the Musci and Hepaticae of Yorkshire''")を発表した。
1845年から1846年にかけて、ピレネーでの植物採集旅行を行った。1849年から、アルフレッド・ラッセル・ウォレスヘンリー・ウォルター・ベイツらのアマゾンの探検者の後を受けて、14年間にわたって、アマゾンやアンデスの探検、植物収集を行い、30,000種以上の植物を集めた。帰国後、『アマゾンと、ペルー、エクアドルのアンデス山脈の蘚苔類』("''Hepaticae of the Amazon and the Andes of Peru and Ecuador''")を執筆した.〔Wallace, A. R. (ed) and Spruce, R. ''Notes of a botanist on the Amazon and the Andes... during the years 1849-1864 by Richard Spruce PhD''. 2 vols, cr8vo, Macmillan, London 1908. first part of the first volume contains all the text completed by Spruce before his death, and the rest is written by Wallace on the basis of Spruce's notes 〕。
1852年にアマゾン川流域のキントラノオ科のつる植物「バニステリオプシス・カーピ」(')について記載した。これはアマゾン西部の先住民族の向精神性の飲料、アヤワスカの主原料である。1860年の25番目の論文の"''On the Mountains of Llanganati in the Eastern Cordillera of the Quitonian Andes''"はアンデス山脈のエクアドルの領域の貴重な情報源となり、エドワード・ブルックス(Edwards Cranston Brooks)やジョージ・ディオット(George Miller Dyott)らの「リャンガナテスの秘宝」を探す探険家たちはこの論文を参考にした〔Charbonneau, S. J. ''Lust For Inca Gold: The Llanganati Treasure Story & Maps''. CreateSpace Independent Publishing Platform. 2012.〕。
1866年に王立地理学会のフェローに選ばれた。
)について記載した。これはアマゾン西部の先住民族の向精神性の飲料、アヤワスカの主原料である。1860年の25番目の論文の"''On the Mountains of Llanganati in the Eastern Cordillera of the Quitonian Andes''"はアンデス山脈のエクアドルの領域の貴重な情報源となり、エドワード・ブルックス(Edwards Cranston Brooks)やジョージ・ディオット(George Miller Dyott)らの「リャンガナテスの秘宝」を探す探険家たちはこの論文を参考にした〔Charbonneau, S. J. ''Lust For Inca Gold: The Llanganati Treasure Story & Maps''. CreateSpace Independent Publishing Platform. 2012.〕。
1866年に王立地理学会のフェローに選ばれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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