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リチャード・ダッド : ミニ英和和英辞書
リチャード・ダッド[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リチャード・ダッド : ウィキペディア日本語版
リチャード・ダッド[ちょうおん]

リチャード・ダッド(Richard Dadd、1817年8月1日 - 1886年1月7日)は、イギリスヴィクトリア朝時代の画家である。
== 生涯 ==
1817年イギリス、ケント州チャタムで生まれたダッドは13歳から絵を描きはじめ、20歳でロイヤル・アカデミー美術学校に入る。その年に『眠るティターニア』と『パック』が評価された。1842年7月、弁護士であるサー・トーマス・フィリップの旅行の同伴画家となり、ヨーロッパや中東を回る。この旅行中の同年12月頃に精神に異常をきたしはじめる。当初は日射病によるものと思われていたが、「自分はエジプトの神、オシリスの使者であり、同行者には悪いものが憑りついているので殺さねばならない」などの妄想が激しくなり狂暴になっていった。翌年の1843年の春、家族の勧めでケント州郊外コブハムにて療養する。同年8月に父親のロバートと公園を散歩中に「中にいる悪魔を殺すために」ナイフでロバートを殺害。〔Allderidge, 1974, ''Richard Dadd'', p. 24.〕フランスに逃亡しパリで観光客を殺害しようとしたところで逮捕される。正常な状態ではないと判断されたためフランスの精神病院に10ヶ月ほど収容された後、イギリスに戻されたダッドは、王立ベスレム病院(ベドラム)に収容された。20年後の1864年7月に収容者過剰のためにバークシャークローソーンにあるブロードムーア病院へ転院し、生涯を終えるまでを過ごした。〔Greysmith, 1973, p. 73.〕


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リチャード・ダッド」の詳細全文を読む




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