翻訳と辞書
Words near each other
・ リチャード・ダグラス・フォスベリー
・ リチャード・ダッド
・ リチャード・ダトロー・ジュニア
・ リチャード・ダナット
・ リチャード・ダバロス
・ リチャード・ダン
・ リチャード・ダヴァロス
・ リチャード・チェイス
・ リチャード・チェイニー
・ リチャード・チェネヴィックス
リチャード・チェリモ
・ リチャード・チェンバレン
・ リチャード・チャールズ・ロジャース
・ リチャード・チュウ
・ リチャード・チュー
・ リチャード・チョウ
・ リチャード・チョーリー
・ リチャード・ティトマス
・ リチャード・ティー
・ リチャード・テイラー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

リチャード・チェリモ : ミニ英和和英辞書
リチャード・チェリモ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リチャード・チェリモ : ウィキペディア日本語版
リチャード・チェリモ[ちょうおん]


リチャード・チェリモ (Richard Chelimo、1972年4月21日 - 2001年8月15日)は、ケニア陸上競技選手である。10000mの元世界記録、世界ジュニア記録保持者である。バルセロナオリンピックの10000mで、不公正な判定で金メダルが取れなかった選手としてよく知られている。リフトバレー州マラクウェット県出身。
==経歴==
チェリモは、ケニアのカレンジン族の出身である。彼の親戚には有名なアスリートが多く、3000m障害と5000mの元世界記録保持者であるモーゼス・キプタヌイはいとこであり、世界陸上競技選手権の5000mで2連覇を果たしたイスマイル・キルイは弟である。
チェリモが国際舞台ではじめて活躍したのは、1990年にフランスエクス=レ=バンで開催された世界クロスカントリー選手権で銀メダルを獲得したのが最初である。しかし、この大会ではケニアはジュニアで10ものタイトルを獲得していることからチェリモが受けた注目は大きくはなかった。
しかしながら、チェリモの才能に注目があたるのにそう時間はかからなかった。翌年の1991年、ブルガリアプロヴディフで開催された世界ジュニア陸上競技選手権では、彼は10000mで2位のキルイに約12秒もの差をつけ金メダルに輝いている。
チェリモは、1991年の東京で開催された世界選手権のケニア代表として選ばれ、同じケニアのモーゼス・タヌイのペースメーカーとしての役割を負っていた。彼は、タヌイの先導に成功し、タヌイは最大のライバルであるモロッコハリド・スカーをラスト周回で引き離し金メダルを獲得した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リチャード・チェリモ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.