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リチャード・ミルハウス・ニクソン(Richard Milhous Nixon, 1913年1月9日 - 1994年4月22日)は、アメリカ合衆国の軍人、政治家。下院議員、上院議員、第36代副大統領、第37代大統領を歴任。 デューク大学ロースクール卒業後、弁護士として活躍した後、1946年に共和党の政治家に転身。下院議員、上院議員を経て、1953年よりドワイト・D・アイゼンハワー政権で副大統領を務めた。1960年の大統領選挙ではジョン・F・ケネディに敗れたが、1968年の大統領選挙で勝利し、第37代大統領に就任。ベトナム戦争からのアメリカ軍の完全撤退を実現し、当時東西対立の時代にあってソビエト連邦とのデタント(緊張緩和)、中華人民共和国との国交樹立など積極的な外交を展開した。また当時環境保護運動が高まり、環境保護局の設置などを通じ公害の抑制や環境保護にも力を注いだ。経済政策で失業とインフレに悩まされながらも新しい国際通貨体制の確立に尽力した。しかし、ウォーターゲート事件により1974年に辞職に追い込まれ、任期中に辞任した唯一のアメリカ大統領となった。 == 生い立ち == === 幼少時代 === リチャード・ニクソンは1913年にカリフォルニア州南部、ロサンゼルス近郊のヨーバリンダにてギリシア系の父フランシスと、ドイツ系の裕福な家の出身で熱心なクエーカー教徒の母ハンナ・ミルハウス(メルハウゼン)の間に生まれる。 父は結婚前はクェーカー教徒でなかったこともあり〔『ニクソン わが生涯の戦い』P.117 (福島正光訳、文藝春秋、1991年)〕、宗教にさほど熱心ではなかったが〔デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ 1950年代アメリカの光と影 第2部』(金子宣子訳、新潮文庫、2002年)元版は新潮社で上下巻、1997年〕、母はクエーカー教の経典に従って、子供たちに保守的な福音主義のしつけを行った。 一家は元々は果樹園を経営していたが、その後1922年に母の実家の近くのウィッティアに引っ越し、食料品およびガソリン販売店を始める。ニクソンは回顧録などで幼少期を振り返って「貧しかったが幸せだった」と語っているが、実際は父の店の経営は軌道に乗っていた上に、母の実家が裕福であったことから、ピアノやバイオリンを習う余裕もあるなど、当時のアメリカの平均的な家庭と比べて決して貧しいものではなかった〔「戦略家ニクソン」P.20 田久保忠衛著 中公新書〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リチャード・ニクソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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