翻訳と辞書
Words near each other
・ リチャード・バック
・ リチャード・バックマン
・ リチャード・バックミンスター・フラー
・ リチャード・バトン
・ リチャード・バリー・パーカー
・ リチャード・バルビエリ
・ リチャード・バンド
・ リチャード・バンドラー
・ リチャード・バーガー
・ リチャード・バージ
リチャード・バージン
・ リチャード・バーセルメス
・ リチャード・バートン
・ リチャード・バード
・ リチャード・バード (陸上選手)
・ リチャード・バーベッジ
・ リチャード・バーレット
・ リチャード・バーンズ
・ リチャード・バーンズ・ラリー
・ リチャード・パイプス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

リチャード・バージン : ミニ英和和英辞書
リチャード・バージン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リチャード・バージン : ウィキペディア日本語版
リチャード・バージン[ちょうおん]
リチャード・バージン(Richard Burgin, 1892年10月11日 - 1981年4月29日)は、ポーランド出身のヴァイオリン奏者。本名はリヒャルト・モイセイヴィチ・ブルギン(Richard Moiseyevich Burgin)〔〕。妻はヴァイオリン奏者のルース・ポッセルトで、息子は作家の。 娘は作家兼マサチューセッツ大学アマースト校ロシア語教授であるで、彼女が出版した物語詩"Richard Burgin: A Life in Verse" (Slavica Pub, 1989; ISBN 0-89357-196-2)は、父の生涯について触れられている〔RICHARD BURGIN: A LIFE IN VERSE by Diana Lewis Burgin. Foreword 〕。
== 生涯 ==
シェドルツェの生まれ。
6歳でヴァイオリンをはじめ、ワルシャワでイシドール・ロットに手ほどきを受けた。1903年には短期間ベルリンヨーゼフ・ヨアヒムの指導を受け〔''Baker's Biographical Dictionary of Musicians'', Seventh Edition, Revised by Nicolas Slonimsky. New York: Schirmer Books, 1984, p. 379〕、1904年にはワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に独奏者として出演した。1908年にはペテルブルク音楽院でレオポルト・アウアーに師事し、1912年に卒業した〔。1914年にはワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団、翌年にはクリスチャニア音楽協会、1916年から1919年までストックホルム音楽協会のそれぞれのコンサートマスターを務めた。1920年にアメリカに渡ってボストン交響楽団のコンサートマスターとなった〔Times magazine 〕。セルゲイ・クーセヴィツキーが1923年にセルゲイ・プロコフィエフヴァイオリン協奏曲第1番の初演を指揮した時には、オーケストラのコンサートマスターを任され、1924年4月24日アメリカ初演の際には独奏を担当した〔〕。1927年からクーセヴィツキーのアシスタントとして指揮をするようになり、1953年からニューイングランド音楽院オーケストラ指揮し、ポートランドのメイン交響楽団などにも客演するようになった。1962年にボストン交響楽団のコンサートマスターを引退し、フロリダに移住。妻と共にフロリダ州立大学で教鞭をとり、地元の室内管弦楽団などを指揮したり、妻と弦楽四重奏団を作ったりした。
フロリダ州ガルフポートにて没〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リチャード・バージン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.