翻訳と辞書
Words near each other
・ リチャード・バーセルメス
・ リチャード・バートン
・ リチャード・バード
・ リチャード・バード (陸上選手)
・ リチャード・バーベッジ
・ リチャード・バーレット
・ リチャード・バーンズ
・ リチャード・バーンズ・ラリー
・ リチャード・パイプス
・ リチャード・パチェコ
リチャード・パルトニー
・ リチャード・パワーズ
・ リチャード・パーカー (水兵)
・ リチャード・パール
・ リチャード・ヒコックス
・ リチャード・ヒゴット
・ リチャード・ヒダルゴ
・ リチャード・ヒューズ
・ リチャード・ヒューズ (競馬)
・ リチャード・ヒルトン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

リチャード・パルトニー : ミニ英和和英辞書
リチャード・パルトニー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リチャード・パルトニー : ウィキペディア日本語版
リチャード・パルトニー[ちょうおん]

リチャード・パルトニー(、1730年2月17日 - 1801年10月13日)は、イギリス医師植物学者である。
== 略歴 ==
レスターシャーラフバラーの非国教会徒の家に生まれた。ラフバラーのグラマースクールを卒業して、薬剤師の見習いとなった。見習い中にマウントソレルに移った後、レスターで医師と薬局を開業した。レスターシャーの植物を研究し、1757年に王立協会フィロソフィカル・トランザクションズにレスターシャーの植物目録を発表した。1762年の王立協会の会員として認められ、1764年にエディンバラ大学にキナノキに関する論文を提出し、医学博士号を得た。同年、親類の政治家、ウィリアム・パルトニー(William Pulteney, 1st Earl of Bath)の病気の治療を行ったが、うまくいかなかった。1765年からドーセットシャーのブランドフォードで医師として働いた。
著書にカール・フォン・リンネの生涯と著作について紹介した "''A general view of the writings of Linnaeus''"(1781年)や、1790年までに3巻となったイギリスの植物学史の大著、"''Historical and biographical sketches of the progress of botany in England... ''" がある。
1790年にロンドン・リンネ協会の会員に選ばれ、1793年にエディンバラ王立協会のフェローに選ばれた。没した後、貝類や鉱物標本、植物標本はリンネ協会に残され、後に大英博物館に収蔵された。
マメ科の属名、 に献名されている。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リチャード・パルトニー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.