翻訳と辞書
Words near each other
・ リチャード・ビーチャム (第13代ウォーリック伯)
・ リチャード・ビーチャム (第13代ウォーリック伯爵)
・ リチャード・ピアソン
・ リチャード・ピアソン (編集技師)
・ リチャード・ピアース
・ リチャード・ピートリー
・ リチャード・ファインマン
・ リチャード・ファリーニャ
・ リチャード・ファルド
・ リチャード・ファルド・ジュニア
リチャード・ファーレル
・ リチャード・ファーンズワース
・ リチャード・フィスク
・ リチャード・フィン
・ リチャード・フォックス
・ リチャード・フォルツ
・ リチャード・フォンタナ
・ リチャード・フォーク
・ リチャード・フォータス
・ リチャード・フッカー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

リチャード・ファーレル : ミニ英和和英辞書
リチャード・ファーレル[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リチャード・ファーレル : ウィキペディア日本語版
リチャード・ファーレル[ちょうおん]

トーマス・リチャード・ファーレル(Thomas Richard Farrell, 1926年12月30日 - 1958年5月27日〔http://www.teara.govt.nz/en/biographies/5f2/farrell-thomas-richard〕)は、ニュージーランド出身のピアノ奏者。
オークランドに生まれ、ほどなくしてウェリントンに引っ越した。6歳からフローレンス・フィッツジェラルドに、9歳でゴードン・ショートにピアノを師事する。7歳の時に地元のウェリントン交響楽団と共演を果たしている。12歳でオーストラリアのシドニーに渡り、ニュー・サウス・ウェールズ国立音楽院のアレクサンドル・スヴェルジェンスキーの下で研鑽を積んだ。この間にアルトゥール・ルービンシュタインアイリーン・ジョイスらの激励を受ける。
1944年にニュー・サウス・ウェールズ州のコンクールで優勝し、ABC交響楽団からヤング・パフォーマー賞を贈られた。1945年にユージン・オーマンディに認められてアメリカでの公演の招待を受けるも、第二次世界大戦の影響で渡米をいったん断念する。その後、ウィリアム・カペルと知己の仲になり、1947年にカペルの手引きでアメリカに渡り、ジュリアード音楽院のオルガ・サマロフの薫陶を受け、セルゲイ・クーセヴィツキーに指揮法を学んだ。
1948年に一旦ニュージーランドに戻ってリサイタルを開いた後、カーネギー・ホールで演奏会を開き、ルービンシュタインから絶賛された。1950年にはディミトリ・ミトロプーロスの指揮するニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団グリーグピアノ協奏曲を演奏した。1951年から活動の本拠をロンドンに移し、プリンセス・メアリー・ルイーズをパトロンにして演奏活動を展開した。1956年にはニュージーランドへの里帰り公演も実現させ、ブレントン・ラングバイン、エドゥアルト・メルクス、オトマール・ボルヴィツキーらとピアノ四重奏団を結成するなど室内楽の分野でも活躍した。
サセックス州ホートンで自動車事故のために急逝した。
== 註 ==






抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リチャード・ファーレル」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.