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リック・バンステーンベルヘン : ミニ英和和英辞書
リック・バンステーンベルヘン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リック・バンステーンベルヘン : ウィキペディア日本語版
リック・バンステーンベルヘン[ちょうおん]


リック・ファン・ステーンベルヘン(Rik van Steenbergen, 1924年9月9日 - 2003年5月15日)はベルギーフランデレン地域のアレンドンク出身の名自転車競技選手。下記に挙げる実績もさることながら、40歳を過ぎても第一線の選手として活躍したことは特筆される。
世界自転車選手権の個人ロードレース(当時はプロ、現在はエリート種目)を1949年1956年1957年と3回制覇(史上最多)した他、クラシックレース及びグランツールの区間優勝を多数経験。また6日間レースでも歴代第6位となる40勝を挙げている(一時は歴代勝利数トップを経験)。また世界選手権における2連覇を達成した選手は現在バンステーンベルヘンを含めて5人しかいない。
いわゆる、ロードスプリンターと言われる典型的な選手であったことから難度の高い山岳コースを苦手としており、ステージレースについては総合成績という面からすると振るわないケースが目立ったが、1951年ジロ・デ・イタリアでは、総合優勝のフィオレンツォ・マーニに遅れること1分46秒差の2位に入ったことがある。もっとも、グランツールでは専ら区間優勝狙いに主眼が置かれていた。また、6日間レース通算40勝のうち、19勝が同胞のエミール・セヴェレインと組んでのものだった。
2003年5月15日アントウェルペンでバンステーンベルヘンは78歳の生涯を閉じることになったが、葬儀において、エディ・メルクスリック・バンローイロジェ・デフラミンクルシアン・バンインプフレディ・マルテンスブリック・ショットといった同胞の往年の名選手がズラリと顔を揃えたばかりでなく、ベルギー首相ギー・フェルホフスタットも参列したという。バンステーンベルヘンがベルギーのスーパースターであった証といえる。
==主な優勝実績==

===ロードレース===

;1943
: 国内選手権
: フランドル選手権
;1944
: ロンド・ファン・フラーンデレン
;1945
: 国内選手権
;1946
: ロンド・ファン・フラーンデレン
;1948
: パリ~ルーベ
;1949
: 世界自転車選手権
: フレッシュ・ワロンヌ
: ツール・ド・フランス 2区間優勝
;1950
: パリ~ブリュッセル
: ツール・ド・フランス 1区間優勝
;1951
: ジロ・デ・イタリア 2区間優勝。総合2位

;1952
: パリ~ルーベ
: ジロ・デ・イタリア 3区間優勝
;1953
: ジロ・デ・イタリア 1区間優勝
;1954
: 国内選手権
: ミラノ~サンレモ
: ジロ・デ・イタリア 4区間優勝
;1955
: ツール・ド・フランス 1区間優勝
;1956
: 世界自転車選手権
: ブエルタ・ア・エスパーニャ 6区間優勝。総合5位
;1957
: 世界自転車選手権
: ジロ・デ・イタリア 5区間優勝
;1958
: フレーシュ・ワロンヌ



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リック・バンステーンベルヘン」の詳細全文を読む




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