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リック・ファン・ローイ : ミニ英和和英辞書
リック・ファン・ローイ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リック・ファン・ローイ : ウィキペディア日本語版
リック・ファン・ローイ[ちょうおん]

リック・ファン・ローイ(''Henrik ("Rik") van Looy'',1933年12月20日- )はベルギーの元自転車競技選手。史上3人しかいないモニュメントと呼ばれる5大クラシックレース全制覇を果たした他、世界自転車選手権においても史上5人しかない2連覇を果たし、キングオブクラシックの異名を取った。
==経歴==

ファン・ローイは典型的なスプリンター型の選手であった。したがってシングルデーレースの制覇やステージレースの区間優勝に主眼が置かれ、その結果、アマチュア時代を含めて通算492勝を挙げた。
1952年のベルギー国内選手権制覇(アマチュア)をひっさげて1953年にプロへ転向。デビュー年度から毎年、年間20勝以上を挙げたが、1959年には38勝を挙げ、グランツールにおいてもブエルタ・ア・エスパーニャではポイント賞受賞&総合3位、ジロ・デ・イタリアでも総合4位に食い込むなど、レースキャリアとして最高潮を迎える。
1961年はファン・ローイにとって金字塔を打ち立て続けた年度となった。この年、モニュメントとしては取り残していたパリ〜ルーベリエージュ〜バストーニュ〜リエージュを制して完全制覇を果たした他、当時史上3人目となる世界選手権の連覇も果たした。また1963年にはツール・ド・フランスでもポイント賞を受賞。
1965年には年間42勝を挙げ、2度目となるブエルタのポイント賞も受賞。しかしながらこの年を境に次第に陰りが見え始めた。ファン・ローイが衰退基調を迎えた頃に、同胞のエディ・メルクスが日の出の勢いで勝ち続けるようになったが、ファン・ローイも依然としてクラシックレース制覇を果たしていたことから、ベルギーの第一人者という地位を譲ったというわけではなかった。1969年の世界選手権前にはどちらをリーダーに据えるかについてベルギーチーム内で揉め、ファン・ローイのほうを選択することになったため、メルクスは「自主欠場」することになったという。
しかしその翌年となる1970年に現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リック・ファン・ローイ」の詳細全文を読む




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