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リック・フェレル
リック・フェレル(Richard Benjamin "Rick" Ferrell, 1905年10月12日 - 1995年7月27日) は、1930年代 - 1940年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの野球選手。ポジションは捕手。ノースカロライナ州ダーラム生まれ。右投げ右打ち。捕手の最多出場記録を40年にわたって保持し、リーグのベストナインに7回選出された名捕手。 == 経歴 == 1926年にデトロイト・タイガースと契約するが、試合には出場しないまま1928年にセントルイス・ブラウンズへ移籍、1929年にメジャーデビューする。3年目の1931年には打率.306をマーク、守備ではこの年の捕手最多となる86補殺と11の併殺を記録する。この頃から、シーズン殆どの試合に出場するフェレルのタフさと肩の強さ、また三振が少なく選球眼のいい打撃スタイルは、徐々に他の選手にも評価されるようになる。 1933年、オーナーのトム・ヨーキーの手でチームを再建中だったボストン・レッドソックスにトレードされ、同年から始まったオールスターゲームに出場する。この年のアメリカンリーグの選手の中には、クリーブランド・インディアンスで投手をしていた弟のウェス・フェレルも含まれていた。アメリカンリーグ監督だったコニー・マックはリックを高く評価していた一人で、オールスターゲームでも途中交代させず最後までフェレルを使い続けた。また同年フェレルはリーグのベストナインの捕手にも初めて選ばれている。レッドソックスには1937年シーズン当初まで在籍し、フェレルはその間にレッドソックスの捕手の打撃記録のうち、打率、二塁打数、本塁打数の球団記録を更新している。リックとウェスのフェレル兄弟は、1933年のある試合で、別々のチームに所属する兄弟が1試合で揃ってホームランを打つという、珍しい記録をもっている。余談だが、リックは通算わずか28本塁打であったが、弟リックが投手ながら兄よりも10本多い38本塁打を記録している。 1937年には、3年前からレッドソックスの一員だった弟ウェスとともにワシントン・セネタースにトレードされる。当時のセネタースには4人ものナックルボール投手がおり、それもセネタースでフェレルの守備記録が伸び悩んだ一因と言われている。1947年シーズンを最後に現役を引退。現役中のリーグベストナイン選出回数は7回にも及んだ。引退後はしばらくセネタースでコーチをし、その後デトロイト・タイガースのコーチに就任する。以後タイガースのスカウトやゼネラルマネージャーなどを30年以上にわたって歴任し、80歳を過ぎてからは球団の特別顧問を勤めていた。1984年にベテランズ委員会がアメリカ野球殿堂入り選手に選出、またレッドソックス球団の殿堂入りも果たしている。1995年にミシガン州にて死去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リック・フェレル」の詳細全文を読む
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