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リック・ラッシェル(Rickey Eugene Reuschel , 1949年5月16日 - )は、アメリカの野球選手(投手)。メジャーリーグで活躍した。右投右打。 アメリカ合衆国イリノイ州クインシー出身。身長6フィート4インチ(約190cm)、体重235ポンド(約107kg)の巨漢投手で、ニックネームは「Big Daddy(ビッグ・ダディ)」。 1970年代前半から1980年代後半にわたって先発投手として活躍。 == 人物・来歴 == シカゴ・カブスに入団し、6月19日にメジャー初登板。その年21試合に登板(うち先発が18試合)して10勝をあげ、まで9年連続で2ケタ勝利をあげる。 ベストイヤーはで、この年20勝をあげる。チームも首位争いを繰り広げた。 シーズン途中でニューヨーク・ヤンキースに移籍。50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮されたこの年は8勝に終わったが、自身初のワールドシリーズに出場。 ロサンゼルス・ドジャースとのワールドシリーズでは、第4戦に先発(勝敗はつかず、チームは敗戦)。シリーズ自体もドジャースに敗れ、ワールドチャンピオンはならなかった。 故障のためには1シーズン登板がなく、に古巣カブスでカムバックを果たす。 には5勝。チームは地区優勝を果たすが、プレイオフのロースターから外される。また、チームもナ・リーグチャンピオンシップシリーズでサンディエゴ・パドレスに敗れ、以来39年ぶりのリーグ優勝は果たせなかった〔カブスは、1945年以降現在までワールドシリーズ進出を果たせず、地元では「山羊の呪い」にかかっていると囁かれている。〕。その年限りで、フリーエージェント(FA)でピッツバーグ・パイレーツに移籍。 には、最下位のパイレーツで5年ぶりの2ケタ勝利となる14勝(8敗)をあげて復活。ゴールドグラブ賞とカムバック賞とハッチ賞を受賞した。 は9勝16敗に終わるが、途中に地区優勝争いを繰り広げるサンフランシスコ・ジャイアンツに2選手との交換トレードで移籍。チームを以来の地区優勝に導く。また、自身2度目のゴールドグラブ賞を受賞した。 には19勝をあげ、40歳となったにも17勝をあげる。前半戦好調で、オールスターではナ・リーグの先発投手を務めるが、ボー・ジャクソン(カンザスシティ・ロイヤルズ)に特大(約135m)の初回先頭打者本塁打を打たれた。 チームはこの年、チャンピオンシップシリーズで古巣カブスを破り、チームとしては以来、自身2度目のワールドシリーズ出場を果たす。第2戦に先発するが敗戦投手。チームもオークランド・アスレチックスに4連敗を喫した。その後は不振で、4月に戦力外通告され、そのまま現役を引退した。 2歳年上の兄ポール・ラッシェルも1975年 - 1979年の間にメジャーで通算198試合に登板し、16勝16敗13セーブ、防御率4.51を記録。最初の三年間はカブスに兄弟で在籍していた。 体格の割には走力があり、登板しない試合で代走として起用されたこともある。打撃力も投手の割に良く、1974年~77年の間は毎年70打数以上で2割以上をマークした。通算でも1,115打数187安打(打率.168)、本塁打4、打点79を記録している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リック・ラッシェル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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