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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
リック・ローデン(Richard Alan Rhoden , 1953年5月16日 - )はアメリカ・メジャーリーグで活躍した元投手で、現在はプロゴルファー。 アメリカ合衆国フロリダ州出身。野球選手としては右投右打。 == 人物・来歴 == 高校卒業後、ロサンゼルス・ドジャースに入団し、マイナーでのプレイを経て1974年5月16日にメジャー初登板。1976年に初めて1シーズンを通じて先発ローテーション入りし、12勝3敗、防御率2.98の好成績でオールスター初出場を果たす。1977年は16勝、1978年も10勝をあげ、チームの2年連続ワールドシリーズ進出に貢献するが、いずれもニューヨーク・ヤンキースに敗れ、1978年限りでピッツバーグ・パイレーツに移籍。1979年にパイレーツはワールドシリーズでボルチモア・オリオールズを破るが、その年は故障で1登板のみ。さらに2年は1ケタ勝利に終わったが、1982年に4年ぶりに2ケタの10勝をあげ、以後1988年まで7年連続で2ケタ勝利を挙げる。 15勝をマークした1986年には10年ぶりにオールスターに出場。オフには日米野球で来日した。パイレーツは当時成績不振・財政難にあえいでおり、若手選手への切り替えのために1986年オフにヤンキースに交換トレードで放出。(交換相手の1人に、後のサイ・ヤング賞投手ダグ・ドレイベックがいた。)ヤンキースでも16勝、12勝をあげたが、1989年にはヒューストン・アストロズに移籍。2勝に終わり、この年限りで現役を引退した。 打撃力に優れ、1984年から1986年にかけて3年連続でシルバースラッガー賞を受賞。本職の野手顔負けの打撃力で、登板しない試合で代打として出場したこともあった。3年間でホームランは1986年の1本のみであったが、1984年は84打数28安打(打率.333)4打点、1985年は74打数14安打(.189)6打点、1986年は90打数25安打(.278)10打点という成績であった(代打等での成績を含む)。 ヤンキース移籍後も1988年6月11日に、「7番・DH」で先発。0-1でリードされている場面の第2打席で同点の犠牲フライを打ち上げた。なお、これはア・リーグ指名打者制ができた1973年以後、投手が先発DHとして起用された初のケースとなった。 野球選手としての現役引退後はプロゴルファーとなり、全米シニアオープン等にも出場。2000年代に入って、チャンピオンズツアーで3回のトップ10ランク入りを果たしており、ゴルファーとしての生涯獲得賞金も既に25万ドルを超えている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リック・ローデン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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