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リッチ・ゲドマン(Richard Leo "Rich" Gedman , 1959年9月26日 - )は、MLBで活躍した野球選手〔http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=Rich_Gedman_1959 、2010-09-24閲覧。〕。 捕手。右投左打。アメリカ合衆国・マサチューセッツ州ウースター出身。 == 人物・来歴 == 高校時代はそれほど注目されず、1977年のドラフト会議ではどのチームからも指名されず、ドラフト外で地元のボストン・レッドソックスに入団。マイナーリーグでのプレイを経て成長し、1980年終盤にメジャー昇格し、同年9月7日にメジャーデビュー。初試合は20世紀最後の三冠王カール・ヤストレムスキー(アメリカ野球殿堂入り)の代打としての起用であった。この年限りで、それまでの正捕手カールトン・フィスク(こちらも殿堂入り)がフリーエージェント(FA)でシカゴ・ホワイトソックスに移籍したため、捕手はゲドマンとゲーリー・アレンソンの争いになった。 1981年から1983年にかけての出場数は62〔この年はストライキの影響でシーズン短縮。〕、92、81と正捕手とはなれなかったが、1984年には133試合に出場。打率.269、本塁打24、打点72と活躍して正捕手の座を確保。1985年には144試合に出場して打率.295、18本塁打、80打点の活躍でオールスター初出場。1986年にも135試合に出場し、打率こそ.258に終わったが16本塁打、65打点の活躍で2年連続のオールスター出場を果たし、チームのワールドシリーズ進出に貢献した。ニューヨーク・メッツとのワールドシリーズでは3勝3敗で迎えた最終第7戦で本塁打を放つがチームは逆転負け。秋には日米野球でメジャーリーグオールスター(監督はメッツのデーブ・ジョンソン)の一員として来日するが、第2戦で負傷し途中帰国。ゲドマンの帰国後、1人でマスクをかぶり続けたトニー・ペーニャがMVP このオフにFA宣言し、レッドソックスとの残留交渉が折り合わず、ついに交渉期限を過ぎたが、当時オーナーの共謀〔のちに違法とされ、ゲドマンやボブ・ホーナーらには違約金が支払われた。〕もあって、獲得に名乗りをあげる球団はなく、旧所属球団との交渉解禁を待って5月1日にレッドソックスと再契約した。この年は故障もあって52試合の出場に終わる。以後、打率はずっと2割台前半(以下)に沈み、1988年、1989年もいずれも90台の出場に終わる。 1990年には移籍してきたトニー・ペーニャの控え捕手となり、シーズン途中にヒューストン・アストロズに移籍。1991年にセントルイス・カージナルスに移籍。1992年限りで解雇された。1993年にはオークランド・アスレチックスのスプリング・トレーニング〔日本のプロ野球の春季キャンプに相当。〕に参加するが、メジャー契約に至らず、ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約。メジャー昇格はならず、1994年にもメジャー復帰がかなわずその年限りで現役を引退した。当初の期待以上に活躍したが、結果的にFAで一攫千金を目論んで、故障もあり大失敗した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リッチ・ゲドマン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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