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溧陽公主(りつようこうしゅ、536年 - ?)は、中国南朝の梁の公主。簡文帝蕭綱の娘。母は范淑妃。 == 経歴 == 公主は美少女として有名で、晩唐の政治家李商隠の詩にも詠まれている。祖父である武帝からも可愛がられていた。 549年、侯景は、梁の首都建康を陥落させると、蕭綱(簡文帝)を皇帝に擁立した。その際に侯景は、14歳だった溧陽公主に無理やり迫って自分の妻〔『通典』沿革下「景以簡文女溧陽公主為妃。請帝及主母范淑妃宴于西州。」〕とした。なお、侯景は他にも、宿敵羊侃の娘の羊氏や、簡文帝の従兄弟蕭正徳の娘を妾としている。 侯景の軍師は、侯景が酒色に耽って政務を顧みなくなった原因として溧陽公主の美貌を挙げ、諫言を行った。一方で溧陽公主も、侯景に王偉の悪口を言った〔『資治通鑑』「景尚帝女溧陽公主、嬖之、妨於政事。王偉屢諫景。景以告主、主有惡言。偉恐為所讒、因説景除帝。及景自巴陵敗歸、猛將多死、自恐不能久存、欲早登大位。王偉曰:「自古移鼎必須廃立、既示我威權、且絶彼民望。」景從之。」〕。王偉は不安を覚え、侯景に簡文帝の弑殺を扇動した。551年、簡文帝が侯景に殺害された。 翌552年、今度は侯景が蕭繹(元帝)の軍に殺害された。侯景の死体が市に曝されると、民衆は恨みを晴らすため侯景の肉を膾として食べた。そして、溧陽公主も侯景の膾を食べた。その後の溧陽公主の事跡は伝わっていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リツ陽公主」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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